院長ブログ

愛の必要性

2020.10.16

科学は人間の幸せのためにある。
一応そういうことになっている。でも、単なる建前かもしれない。科学の生み出した原子爆弾によって、どれほど多くの人が亡くなったことか。科学がもたらした不幸の数を指折り数え始めれば、指が何本あってもたりないだろう。
科学は人間の幸せのためにある。
それでも、たとえ建前であっても、この言葉をなくしてはいけないと思う。科学者は健忘症だから、いつも暴走する。何のための科学だったかを忘れて、人間を犠牲にしまくる。
以前のブログで731部隊について書いたことがある。医学的な仮説を検証するとき、動物ではなく人で実験するのが一番手っ取り早い。「ネズミで成り立つ現象は人間でもだいたい成り立つ」ものだけど、この「だいたい」というところがくせもので、成り立たないこともけっこう多い。研究者としてはそういう遠回りは避けて、しょっぱなから人で実験したい。さらに人を相手にやるメリットとしては、意思疎通ができることである。たとえばある種の薬剤を猿に投与したら、部屋の隅にうずくまった。なぜか?腹部が不快なのか、頭痛に苦しんでいるのか、あるいは抑うつ症状によるものか。言葉を持たない猿では、何が起こっているのか推測するしかない。しかし人相手なら症状を詳しく聞くことができる。
科学者はいつももどかしい。「倫理の縛りさえなければこの研究をもっと進めることができるのに」と。しかしそれでは何のための科学なのか分からない。人を幸せにするための科学が、人を犠牲にしてはいけない。建前かもしれないけど、この建前は大事にしたい。
731部隊やナチスドイツによる人体実験により生理学が飛躍的に進展し、人体への理解が深まったという側面はあるかもしれない。しかしこれを手放しに肯定することはできない。戦後、ジュネーブ宣言(1948年)やヘルシンキ宣言(1964年)などで人体実験の禁止が明文化されたのは、「科学は人間の幸せのために」という原則を改めて強調するためだった。

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