折田翔吾さんが将棋のプロになった。すごいことだ。こんなことがあるんだな。
プロとアマチュアで絶対的な壁がある競技として、相撲と将棋がよく挙げられる。
相撲の学生チャンピオンは、大相撲の十両にも勝てないという。
逆に、野球はアマとプロの壁が比較的低いと言われる。
甲子園で活躍した高校生が、そのままプロに行ってすぐに活躍する例は多い。
桑田、清原を擁し無敵を誇ったPL学園は、当時万年最下位だった阪神タイガースよりも強いのではないか、とまことしやかに言われたものだ^^
アマとプロの力量差が圧倒的と長らく言われてきた将棋だが、しかし最近は風向きが変わってきた。アマチュア参加枠のある棋戦(竜王戦、棋王戦)で、近年アマチュアの善戦が目立つ。アマチュアがプロにワンパン入れることも珍しくなくなってきた。
これは将棋ソフトの出現が大きい。かつては、局面の最善手を導き出すのはプロ棋士だった。しかもその真偽は「神のみぞ知る」だった。しかし今は、ソフトがあっさりと最善手を提示する。
プロ棋士を将棋の家庭教師として1時間でも授業をお願いするとなれば、本来ン万円の授業料がいるところだろう。それが今や、プロ棋士よりも強い将棋ソフトを使って自分の棋譜を解析して、家で一人で研究できてしまうのだから、これを”革命”と言わずして何と言おう。
奨励会(プロ棋士の養成機関)を年齢制限で退会した瀬川晶司さんや今泉健司さんがプロ棋士になれたのも、ソフトを上手に活用していたことが大きいと思う。もともとムチャクチャ強い人が、ソフトを使って検討すれば、鬼に金棒に違いない。
日本将棋連盟の会長を務めた米長邦雄という人は、本とか言動を見ていると、なんて下品な俗物だろうと思う。本人もそういう下品なふるまいを、確信犯的にやっていた。
週刊誌に自分のヌード写真を撮らせて掲載させるぐらいなのだから、頭のねじが一本とんでいることは自他ともに知っている。女関係の放埓さは、隠すどころか、むしろ誇っていた。升田幸三や藤沢秀行への憧れがあったというから、無頼派を気取っていたところもあるのだろう。
金、地位、名誉。どれに対しても貪欲で、ある意味、実に人間らしい、愛すべき俗物だったということもできるだろう。
ただ、桐谷広人とか弟子は米長にいいように使われて気の毒だったな。ああいうところは全然笑えない。最低の人だったと思う。
米長が将棋界に残した、唯一のすばらしい精神的遺産は、勝負にまつわる”米長イズム”だと思う。
これは「自分にとっては”消化試合”、つまり、勝っても負けてもどちらでもいいような勝負だが、相手にとっては”人生がかかっている”ほどの大きな勝負であるときには、相手を全力で叩き潰せ」という勝負哲学である。
将棋界は狭い世界だから、互いが互いのことをよく知っていて、プライベートでも付き合いがあったりする。
順位戦とかで、自分は残留確定で特に昇級も降格もかかってない安定の立場、相手があと一敗で降格する立場であった場合、相手としては「まぁここでちょっと花を持たせてくれよ」という気持ちである。あからさまに八百長を要求するわけにもいかないが、ちょっと「抜く」ぐらいはしてくれないか。
しかし米長イズムは、ここで一切の恩情なく「相手を突き落とせ」と教える。
米長はその理由を「こういう状況で相手に恩情をかけることは、究極的には、自分にとっても相手にとっても、メリットがないから」としている。もう少し詳しい解説が欲しいところで、僕にもその真意はわからない。
ただ、この米長イズムは将棋界に広く浸透した。
相撲界に八百長が多いことと比べて、将棋界ではそういう話は聞かない。これを米長イズムのおかげとする人もいる。
もともとプロ棋士という人種は、ムチャクチャに頭の回転がはやく、かつ、猛烈に負けず嫌い、という二つの特性を持っているものである。そして、そういう人種の集合体が将棋界である。そこに、大御所米長が「棋士同士の縁故とか上下関係とか忖度せず、重要な対局では相手を叩き潰せ」という米長イズムを注入した。このイズムは、彼らの勝ちにこだわる姿勢と絶妙に調和し、将棋界にいまだに根強く残っている。
さて、折田翔吾アマにとって、プロ棋士になれるかどうか、運命を賭けた五番勝負である。
試験管を務めるプロ棋士5人にとっては、結局のところ、勝っても負けてもどっちでもいい。マスコミの注目度が高いことはわかっている。しかし勝敗は彼らの人生に何ら影響しない。
しかし「こういうときこそ、全力で勝ちに行かねばならない」と教えるのが米長イズムである。
世間は「ユーチューバーからプロ棋士に」という物語を求めている。ここでその夢を阻むことは、いわば世間の目からは、悪役になるだろう。彼らも当然そういうことは意識している。しかし、それにもかかわらず、彼らは折田アマを全力で潰しにかかるだろう。この五番勝負、八百長はあり得ない。
そういうプロ棋士心理を知っていたから、さすがの折田アマもプロ入りは難しいのではないかと、個人的には思っていた。ところが見事に勝ち越し、プロ入りを決めた。
本当にすごいことで、胸が熱くなった。
ここ数年、僕は将棋のネット対局をするのが日課になっている。勝ったり負けたりだが、ときどき、あまりにも不甲斐ない負け方をして、ふと、自分でも思いがけず、涙がこみ上げるときがある。
そういうときは、ソッコーで将棋アプリを終了して、バックギャモンを始める。
僕は、頭の回転自体はそれほど悪いほうではないかもしれない。でも、プロになんか、絶対になれない。そんなに強くなるはずがないんだ。その理由は、僕自身にもわかっている。
自分の感情から逃げている。将棋に負けて泣きそうになるほど悔しいときにさえ、その悔しさに向かい合わない。
折田アマ、いや、折田四段はじめ、プロ棋士になった人は皆、子供のときからそういう悔しさから目をそらさず、研究に打ち込み、強くなってきた。
そう、プロというのは、自分の気持ちから逃げない人のことをいうんだよね。