スタチンはカビ毒そのもので、その毒性は恐ろしいものだけど、スタチンの開発プロセスで、癌や糖尿病などの発生機序の一端が解明されたこと自体は、とても有意義なことだった。これらの疾患に大きく関与していることが明らかになったのは、コレステロールである。
生化学の研究により、コレステロールが細胞膜や各種ホルモン、ビタミンDの構成材料であることが知られていた。疫学的には、癌患者でコレステロール値が低いことや、コレステロール値が低い患者で癌の発症率が高いことがわかっていたが、スタチンの研究はこの理由を解き明かすことに貢献することになった。
前回のブログと内容的にやや重複するかもしれないが、この点について、少し角度を変えて見てみよう。
理科の授業で、「”何とか”アーゼ、というのは”何とか”を分解する酵素のことだ」と習っただろう。たとえばアミラーゼというのはアミロース(でんぷん)を分解する唾液中の酵素だし、リパーゼというのはリピッド(脂質)を分解する膵液中の酵素のことだ。
上図は、酵素が基質に作用して、基質を分解する模式図。
酵素と基質は、カギとカギ穴の関係にたとえられる。ばっちりハマる相手に対してのみ、作用するということだ。そして、反応の前後で酵素は変化しないが、基質が変化して、新たな物質が生じる。
反応を定式化して書くと、
酵素 (E) + 基質 (S) → 酵素基質複合体 (ES) → 酵素 (E) + 生産物 (P)
大学で生化学を勉強するとうんざりするほどたくさんの酵素が出てきて、その名前を覚えることになるが、小学校や中学校の理科で習ったこの反応式が基本であることは変わらない。
たとえば、リダクターゼ(還元酵素)という酵素がある。医学部で習うのは、せいぜい
5αリダクターゼ(前立腺肥大、男性型脱毛症に関連)とHMG-CoAリダクターゼの二つである。
後者はコレステロールを含むメバロン酸代謝のプロセスで超重要な酵素だが、扱いは軽い。
生命にとってメバロン酸経路がどれほど重要であるかを医学生に教えてしまうと、スタチンを投与することがどれほど体に悪いかが、みんなにバレてしまうから、あえて教えないようにしているのではないか、と個人的には思っている。
メバロン酸は、HMG-CoAから作られる。
上図でいうと、HMG-CoA(基質)に対して、酵素HMG-CoAリダクターゼが作用することで、メバロン酸(生産物)が作られる、という流れだ。このメバロン酸からコレステロールやイソプレノイドが作られていく経路を、メバロン酸経路(mevalonate pathway)という。
Sipersteinによると、彼が調べたすべての癌細胞では、例外なく、メバロン酸経路(およびコレステロール代謝)が破綻していた。
三共が犬を使った実験で、腸に癌(リンパ腫)が発生することを報告したが、スタチンを経口で投与した場合、消化されたスタチンがまず吸収されるのが腸であることを考えれば、この理屈がわかる。
腸は免疫の最前線で、白血球が密集している。スタチンを貪食した白血球は、メバロン酸経路が破綻し、リダクターゼが増加する。ここで細胞表面にLDL受容体が多く発現していればコレステロールの取り込みが亢進してアポトーシスを起こすところだが、LDL受容体の発現が乏しい白血球では癌化する。これが血液癌の発生機序である。
いわゆる発癌物質は、細胞内に取り込まれて発癌を起こす前に、まずメバロン酸経路を破綻させているのではないか。これがすべての癌の根本原因ではないか。これがSipersteinの考えた仮説である。
1960年、イギリスで養鶏場で飼われていた数万匹の七面鳥が一気に死ぬ騒動があった。この事件は世界中に報道され、人々を不安に陥れた。原因は何だろうか?細菌か、ウイルスか?自然発生した病原菌によるものか、生物兵器によるテロか?世界中の科学者が、原因究明に乗り出した。
結果は、驚くべきことに、カビによるものだった。七面鳥のエサとして与えられていたピーナッツに、真菌の一種アスペルギルス・フラブス(Aspergillus flavus)がわいており、この真菌が産生するカビ毒によって七面鳥たちは中毒死したのだった。このカビ毒はAflatoxin(AはAspergillusから、flaはflavusから)と名付けられ、多くの研究者がその毒性を調べたが、Sipersteinもその一人だった。
正常な細胞にアフラトキシンを与えると、1週間以内にメバロン酸経路が破綻し、その後癌化することを、彼は報告した。
『正常細胞および癌細胞におけるコレステロール合成の調整』
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/B9780121528027500098
メバロン酸経路こそ、癌とコレステロールを結ぶミッシングリンクであることを、彼は証明したのだった。メバロン酸経路は細胞の分裂周期を調整する中枢であり、また、コレステロール(およびその他のイソプレノイド)の産生に中心的な役割を果たしている。癌細胞ではメバロン酸経路が破綻しており、リダクターゼの産生が高まっているが、スタチンはこれと同様の状況を作り出す。
癌はスタチンの副作用ではない。作用機序を考えれば、むしろ主作用である。
利にさとい製薬会社である。スタチンのこういう性質は当然知っていて、当初はスタチンを、なんと、抗癌剤として売り出そうという話さえあった。”スタチンが細胞周期をかき乱すのならば、癌細胞に投与してやればいい”というアイデアである。
腫瘍の退縮どころか、正常細胞の癌化を促進してしまうことから、研究段階で頓挫したものの、スタチンの何たるかを端的に示すエピソードだと思う。
もっとも、一般の病院で行われている抗癌剤による化学療法もスタチンと大同小異で、最終的には癌の促進にしか働かないのだけれど。
参考
“Proof for the cancer-fungus connection” (James Yoseph著)