院長ブログ

統合失調症と甲状腺

2020.1.11

甲状腺機能亢進症によって精神錯乱のような症状が出ることがある、ぐらいの知識は、どの医者も持っている。
しかし、この逆、甲状腺機能の低下が精神症状(統合失調症、躁うつ、うつ、不安)の原因になっている可能性については、僕も含め、ほとんどの医者が認識していない。この場合、治療は当然、精神症状そのものに対してではなく、甲状腺機能の改善に対して向けられるべきである。しかしそもそもの難関は、「甲状腺機能が乱れていますよ」と診断してもらえるかどうかだ。

一般の医者は精神疾患の背景に甲状腺異常があるとは思わないから、わざわざ採血しない。仮に採血するにしても、せいぜいTSH、FT3、FT4をはかるくらいだろう。
Dr. Thomas Geraciotiは「精神疾患は、視床下部・下垂体・甲状腺軸(HPTアクシス)の内分泌異常」であると指摘している。
「精神疾患は脳の病気」という従来の認識に対して、近年の腸内細菌研究の進展は「精神疾患は腸の病気」という新たな概念を提出した。さらにここに来て、第3の新説「精神疾患はホルモンの病気」という可能性が出てきたわけで、諸説入り乱れて、実におもしろいと思う。

ホルモンの病気であるからには、もう少し詳細な検査をすべきである。Geracioti博士は、甲状腺ホルモンの日内変動(夜にピーク)を配慮して、採血検査は午前9時前に行うべきだと主張している。「そうでないと、サブクリニカル(亜臨床)甲状腺機能低下症を見逃してしまう」と。
さらに、検査項目としては、以下のものを含むべきとしている。TSH、T3、T4、抗甲状腺抗体、血清コレステロール、プロラクチン

甲状腺機能低下症のメカニズムは複雑である。根本的な問題はどこにあるのか。視床下部か、下垂体か、甲状腺か、あるいは甲状腺ホルモンに対するフィードバックに異常があるのか。
また、甲状腺ホルモンに対する感受性は臓器ごとに異なるものであり、また、患者の年齢によってもその影響が異なる。子供で甲状腺ホルモンの働きに異常があれば、低身長、学習障害、ADHDの原因になり得る。
「サブクリニカル甲状腺機能低下症を伴う精神疾患患者(特に投薬治療に反応性が乏しい患者)は、甲状腺ホルモンで治療すべきだ。チロキシンやTSHの血中濃度が正常であってもFT3の血中濃度が正常範囲内の下位20%以下である場合は、甲状腺ホルモンの低さが精神症状の原因である。うつ状態の患者で、甲状腺関連のマーカーがまったく正常だったが、甲状腺ホルモンの投与で気分が大幅に改善した症例もある」

甲状腺ホルモンの重要性は、人間以外の動物にとっても同様である。
熊の冬眠、羊の換毛、渡り鳥の渡りなど、動物が季節の変化を察知してとる行動には、日照時間の長短や血中甲状腺ホルモン濃度が関わっていることが知られている。しかしその詳細なメカニズムについてはわかっていなかった。
この背景に甲状腺刺激ホルモン(TSH)が関与していることを突き止めた研究がある。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/25437536
甲状腺刺激ホルモン(TSH)には2種類ある。
下垂体前葉由来TSH(pars distalis-derived TSH;PD-TSH)と下垂体隆起葉由来TSH(pars tuberalis-derived TSH;PT-TSH)である。
普通、TSHといえば前者のことを指す。後者の働きは、「動物に春を教えること」(春告げホルモン)である。
PD-TSHがTRH(甲状腺刺激ホルモン放出ホルモン)によって制御されているのに対して、PT-TSHはTRHの制御を受けず、夜に松果体から分泌されるメラトニンによって制御されている。
血中のTSHには、PD-TSHとPT-TSHが混在しているが、PT-TSHには生理活性がなく、甲状腺を刺激しない。なぜか?
両者とも、タンパク質の構造自体には何も違いはないが、TSHに結合する糖鎖構造(翻訳後修飾)に違いがあるからだ。PD-TSHには硫酸基がついた二本鎖のN結合型糖鎖が結合していたのに対して、PT-TSHにはシアル酸がついた三本鎖あるいは四本鎖の糖鎖が結合していることが明らかになった。
PD-TSHは半減期が短く、肝臓ですぐに代謝されるが、PT-TSHは免疫グロブリンやアルブミンと結合してマクロTSH複合体になる。PT-TSHに生理活性がないのはこれが理由である。

この論文の意義は何だと思いますか?
TSHには2種類あることを示したこと?それもあるけど、全然それだけじゃない。
そもそも、ゲノム情報は有限なんだ。この有限な資源を、できるだけ有効に使わないといけない。そこで、生物は一つのホルモンに二つの役割を与えた。しかし、体のなかで一つの分子が二つの異なる役割を演じるには、情報の混線を防ぐ必要がある。この研究は、糖鎖修飾と免疫グロブリンがこの混線予防に一役買っているという新しい概念を提出し、生物の巧みな生存戦略の一端を明らかにした。この点こそ、この論文の真骨頂なんだ。

マクロTSHの血中濃度が、甲状腺機能だけでなく、睡眠の質にも影響するという研究がある。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/28287185

統合失調症を発症する前には、たいていの患者に睡眠障害(入眠困難、睡眠維持困難)があると思う。
何らかの免疫系の異常によってPT-TSH(春告げホルモン)の代謝に齟齬をきたし、結果、睡眠周期が崩れたり、精神症状が出ているのかもしれない。免疫系の異常の背景には、たいていの場合、腸の異常があるものである。
「精神疾患は脳の病気」
「精神疾患は腸の病気」
「精神疾患はホルモンの病気」
この三つ命題が、PT-TSHを中心につながったように思える。
パズルのピースが出そろい、精神疾患の発症機序を説明できるようになったとして、「さて、治療は?」となると、まだ僕にも答えはない^^;
とりあえずは、腸の炎症を鎮めること、つまり、食事の改善からだな。