これは血液凝固のカスケードで、医学部の学生なら必ず勉強している。
「血液凝固因子のうち、ビタミンK依存性のものはどれか」みたいな問題が国家試験によく出るので、医学生は皆、「ビタミンK依存性の凝固因子は、肉納豆(Ⅱ、Ⅸ、Ⅶ、Ⅹ)」と語呂合わせで覚えている。
この語呂合わせはよくできているので、晴れて医者になって試験地獄から解放されて、血液内科の知識なんてごっそり忘れた後も(そう、自分の専門以外の知識は、すっかり忘却の彼方にあるのが普通の医者である)、何となく覚えている。
しかし、クックパッドを検索して驚いたんだけど、肉納豆という料理が本当にあるんだね^^;
この語呂がうまいのは、納豆という、ワーファリン服用者の禁忌食材を含んでいるところだ。
ワーファリンは抗凝固薬で、血栓をできにくくする。この作用は、肝臓でビタミンKと拮抗し、ビタミンK依存的な凝固因子(肉納豆)の活性を抑えることによって発揮される。一方、納豆にはビタミンKが多く含まれている。同時に、納豆が腸内細菌のビタミンK産生を促進する。つまり、ワーファリン服用者が納豆を食べては、ワーファリンの効果が弱まってしまう。
ということになっている。少なくとも、医学部ではそのように習う。
納豆は血栓を生じさせる危険な食材、といったイメージを持つかもしれない。
しかし一方で、こんな研究がある。
『大豆および納豆の摂取と心血管系疾患の死亡率~高山スタディ』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/27927636
岐阜県高山市の住民約3万人を16年間追跡して、納豆、大豆タンパク質、大豆イソフラボンの摂取と循環器疾患による死亡の関係を調べた。かなり気合の入った研究だ。
結論をざっくり言うと、納豆を多く摂取する人では、虚血性脳卒中による死亡リスクが33%低下していた。こうした関係性は大豆タンパク質(豆腐、味噌、豆乳、油揚げなど)や大豆イソフラボンでは見出されなかった。
納豆の摂取が循環器疾患の死亡リスクを下げることを示した、世界で最初の研究ということになる。
そもそも、納豆には線溶系を活性化しフィブリンを溶解する作用がある。
「え、逆じゃないの?ワーファリンの作用を邪魔する危険な食材じゃなかったの?」
いや、逆ではない。納豆には抗血栓作用のある酵素ナットウキナーゼが含まれている。
『納豆に含まれる新しいフィブリン溶解酵素(ナットウキナーゼ)』
https://link.springer.com/article/10.1007/BF01956052
宮崎医大で美原恒のもとで助手をしていた須見洋行の発見によるものである。
学生を二つのグループに分け、一方に納豆を食べさせ、他方に煮豆(納豆のもと)を食べさせた。食べる前と食べた後、2時間ごとに採血して血中の線溶酵素の量を測ったところ、納豆群では2時間後に線溶活性が亢進し、4時間後にピークに達し、その後徐々に減少した。これに対し、煮豆群では何も変化は起こらなかった。
この研究は1980年代に行われた。それから三十余年が経過し、ナットウキナーゼの有効性を裏付ける研究報告は無数にある。
たとえばこんなレビュー(論文の論文。エビデンスレベルが最も高い)がある。
『ナットウキナーゼ~心血管系疾患の予防および治療における有望な選択肢』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC6043915/
「心血管系疾患(CVD)は主要な死因の一つであるが、CVDによる死亡に対する予防する手段は限られている。納豆に含まれる活性成分ナットウキナーゼ(NK)には、心血管系に様々な効能があり、また、納豆を食べることでCVDによる死亡率が減少することが示されている。近年の研究では、NKの効能として、フィブリン溶解作用、降圧作用、抗動脈硬化作用、脂質低下作用、抗血小板作用、神経保護作用が証明されている。NKはCVDの予防および治療のための理想的な薬剤の候補だといえる」
日本人は千年以上前から納豆を食べてきた。千年以上食べている食材を「禁忌」にしてしまう薬剤って、どうなんだろう。
納豆よりもそういう薬のほうがはるかに怖い、というのが普通の人の感覚じゃないかな。