院長ブログ

宝塚

2019.12.5

きのうの夜、近所の居酒屋で飲んでた。
テレビのバラエティ番組が流れてて、ふと、横の人が「あ、真矢ミキ」と言った。
僕は芸能人とか全然詳しくなくて、「誰?」と聞くと、
「元タカラジェンヌ。花組のトップスターだよ」
ふーん。それって、すごい人なの?
「もうね、すごい人気だったよ。ヅカの革命児、って言われたくらいのスターだった。オスカルが本当にかっこよくて」
アライグマの?
「それはラスカル。オスカル、知らないの?あっちゃん、文学詳しいと思ってたんだけど」
いや、ボケてるんやんか。ベルばらやろ。
「そう、あのときの宝塚は本当に夢みたいに素敵だった。涼風真世、天海祐希、安寿ミラ、一路真輝。今でも宝塚は人気だけど、あの時代の宝塚には、何か特別な空気があったと思う」

70年代、宝塚歌劇団は存続の危機にあった。テレビが各家庭に普及し始めた時代である。テレビが娯楽の王様として台頭したことで、わざわざ劇場に足を運ぶ人は年々右肩下がりに減少していた。「阪急ブレーブスと宝塚歌劇団は阪急グループの二大お荷物」だと揶揄されていた。
もちろん、熱烈なファンはいた。ある東京在住の少女。たまたま宝塚歌劇団の東京公演を見たことがきっかけで、宝塚の世界に夢中になった。東京公演には欠かさず見に行くのはもちろん、ひいきのスターの出待ちをしてファンレターを渡したり、お小遣いで写真集を買って夢想にふけったりしていた。
ちょうどその頃、少女はもう一つ、自分を夢中にさせる新たな趣味を見つけた。『週刊マーガレット』に連載されている『ベルサイユのばら』である。男装の麗人オスカルとフランス王妃マリー・アントワネットらの人生を描いたマンガで、少女はその世界観の虜になった。
宝塚歌劇と『ベルサイユのばら』。少女の胸のなかで、この二つの趣味は奇妙に融合した。「宝塚の次の演目が『ベルサイユのばら』だったら、どんなに素晴らしいことだろう。『ベルサイユのばら』の持つ甘美な悲劇性が、華々しいあの宝塚の舞台上で再現されたなら、どんなに感動することだろう」と、少女の夢想は途方もなく膨らむのだった。

宝塚歌劇団で演出を担当する植田紳爾は、頭を抱えていた。次の演目をどうしたものか。先だって上演した『我が愛は山の彼方に』は幸い好評で、客の入りもまずまずだった。しかしこれまでの膨大な赤字を埋めるにはほど遠い。会社は劇部門を邪険に扱っている。社長の一存で、いつ「解散」を言い渡されても不思議ではない。劇団員も皆、危機感を持っている。ここでひとつ、世間の耳目を引くヒットを飛ばしたいところだが、、、
ふと、ファンレターが目にとまった。東京在住の少女からのもので、自分がどれほど宝塚歌劇の世界に憧れ、東京の定期公演を楽しみにしているか、拙い筆跡で綴られていた。ファンレターには少女マンガ雑誌が同封されていた。「植田さんは、マーガレットで連載中の『ベルサイユのばら』を知っていますか。私は、これが宝塚の舞台で上演されたら、とても素敵だと思います。植田さんも読んでみてください」
これが、植田と『ベルサイユのばら』の出会いである。一読した植田は膝を打った。「なるほど、おもしろい」植田は少女の夢想に共感した。「これが宝塚で演じられたなら、大ヒットするに違いない」と。
企画会議の席で、社員に提案してみたところ、激しい反対にあった。今でこそ、マンガは日本が世界に誇るクールジャパンの筆頭格だが、当時は違った。「マンガを読めばバカになる」と言われた時代である。「文学作品に取材するならともかく、一時の流行マンガに乗っかろうって魂胆が浅ましい」「フランス王朝の家紋はユリでしょう。それがバラだなんて、無知にもほどがある」
特に、脚本担当の長谷川一夫の反対は根強かった。「あり得ません。植田さん、このマンガが何をテーマにした話か、わかった上で勧めているのですか。女王が他国の男性と情を通じる不義密通がテーマですよ。宝塚歌劇のモットーをお忘れですか。『清く正しく美しく』です。宝塚では、絶対にダメです」
やはりダメか。想像以上に強い反発に出くわして、植田は意気消沈した。しかし、そんな植田を鼓舞するように、東京の少女から毎週『週刊マーガレット』が送られてくるのだった。『ベルサイユのばら』を読む。やはり、おもしろい。「そう、舞台にすれば、ヒットは間違いない。これくらいのことで、あきらめちゃいけないんだ」
植田は長谷川を懸命に説得した。「このマンガが描きたいのは、不義密通ではありません。美しい夢があった悲しい女性の物語なんです」
長谷川、ついに折れた。「これで行きましょう。行くからには、全力で脚本を書きます」

結果、140万人を動員する空前の大ヒット。『ベルばら』は社会現象になり、熱狂的な宝塚ファンを生み出した。
これ以後、宝塚歌劇団の行う公演は安定的にヒットするようになり、チケットは入手困難になった。倍率が増加したのは、チケットだけではない。これまで5倍程度だった宝塚音楽学校の入学倍率は、20倍に跳ね上がった。入試募集要項に応募資格として「容姿端麗であること」と記載のある学校はざらにないだろうが、単に美人なだけでは入学できなくなった。簡単には見れないし、簡単には入れない。『ベルばら』は宝塚がブランド化する起爆剤になった。
天海祐希、黒木瞳、涼風真世など、多くのスターが生まれた。特に天海祐希は宝塚音楽学校の作り出した最高傑作だと言われている。入学試験のときからすでに存在感があって、試験官の一人だった植田紳爾が「お母さん、よくぞ生んでくださった」と言ったことが語り草になっている。

そういえばさ、この前亡くなった八千草薫もタカラジェンヌだよね?
「らしいね。でも古すぎて、私そこまではフォローしてない」
あの人、若い頃はとんでもなく美人だったって、知ってる?
以前グレタガルボについて書いたけど、若いときに圧倒的に美しかった人というのは、老いを極度に恐れるものだ。その点、八千草薫は老いに対して恬淡としてた印象で、素敵な年のとり方だと思う。
50歳を超えた天海祐希は、どんなふうに年齢を重ね、どんな演技をするようになるだろうか。

参考:『宝塚百年を越えて: 植田紳爾に聞く』(植田紳爾著)