「旦那がせっかく理性を与えてやったのにね、人間はろくな使い方をしない。自分の欲望や快楽の追求ばかりで、裏切ったり盗んだり、ときには殺したり。まったく、理性なんてろくなもんじゃない。旦那、そう思いませんか?」と悪魔メフィストフェレスが言う。
神が答えて、「いや、そんなことはない。使い方を誤る者もいるが、私は人間を信じたい」
メフィストが笑いながら言う。「旦那は甘いね。人間を買いかぶりすぎです。なるほど、理性というのはきちんと使えば素晴らしいものでしょう。でもね、人間は弱くてバカで救いようがありません。誘惑されやすく、快楽に耽溺して、どこまでも堕落する。理性は、人間には危険なおもちゃです。使いこなすなんて、できるはずがありません」
「いや、お前が何と言おうと、私は人間を信じている」と言いながら、神は地上を示した。「たとえば、この男を見るがいい。ファウストという老学者だ。私の与えた理性をフル活用して、すべての学問を修めた。絶えず自己研鑽に努め、向上心を忘れない。よりよき社会のために自分に何ができるのか、常に考えをめぐらしている。こういう人間もいるのだ」
メフィストは一段と高く笑った。「ご冗談でしょう。この男だって、煩悩にまみれている。理性が一体、彼の幸せに、そして社会の幸せに、少しでもつながったでしょうか。とんでもない。理性ゆえに、彼の悩みはいっそう深くなった。答えのない問いに苛まれて、苦しんで死んでいく。彼も、その他大勢の人間同様、あなたの哀れな作品のひとつです」
「人間は生きている限り、迷うものだ。迷いながら、それでも手探りで進んでいく。それでいいのだよ。彼は今混迷のさなかにいるが、きっと正しい方向へ進むことだろう」
「旦那、ひとつ、賭けをしませんか。旦那がえらく気に入ってるこのファウストという男をね、私が悪の道に誘惑します。”永遠の若さ、万能の知性、若い女、あらゆる快楽など、望むものは何でも与えてやるが、その代わり、お前の魂をもらう”という契約を持ちかけます。この話を彼が突っぱねれば、旦那の勝ちです。話を飲めば、私の勝ちです。どうですか?」
僕は基本的には、神も悪魔もいないと思っている。
ただ、僕の心だけがあって、その心こそが、神と悪魔がしのぎを削る主戦場なんだ。
神のような崇高な理想と、悪魔のような煩悩が同居する、この心。
こんな両極端を包括して、端と端を行ったり来たりしてるのに、破裂もしないで平然としているのが、心の実に不思議なところだ。
ファウスト博士は、悪魔の誘惑に屈した。”少年老い易く学成り難し”というが、学問を大成しながら同時に若さをも併せ持つという、無敵の魅力を手に入れた。美女と結ばれ、多くの罪を犯した。しかし彼の魂は、最終的には救われる。
ファウストがメフィストの誘惑に乗った気持ちがわかる。
学業を成し遂げ、人間として成熟する頃には、もう若さが失われている。たとえ経済的に成功していても、どれだけ大枚叩いても、若さだけは買えない。人生のこの矛盾!この矛盾を解消してくれるというのなら、悪魔とでも契約したい。
しかし幸か不幸か、僕のところにメフィストは来ないだろう。ただ、ひとつ、確かにわかっていることは、僕は着実に老いていく。生きている限り、迷い、そして老いていく。
老境にさしかかったとき、僕は一体どういうことに後悔するだろうか。
『選ばなかった道〜後悔にまつわる自己矛盾』という論文がある。
https://psycnet.apa.org/doiLanding?doi=10.1037%2Femo0000326
人間が人生の終わりに近づいたとき、後悔するのは何に対してだろう。大失敗をしてしまったことか。自分の夢を追いかけなかったことか。
こういうテーマを真っ正面からとりあげた研究だ。
「人の心に最も長く残る後悔の特徴に関する研究は、その後悔が”やったこと”に起因するものか、あるいは”やらなかったこと”に起因するものか、に焦点があるのが従来の研究である。
しかし本研究では、我々は自己概念に注目した。我々は、人が最も強く後悔するのは、実際の自分と義務自己(ought-self)の乖離よりは、実際の自分と理想自己(ideal-self)との乖離であることを発見した。
また、実際の自分と理想自己との非対称性は、少なくとも部分的には、その後悔をどのように対処するのか、その方法の違いによってもたらされることを、エビデンスを以って示した。
人間は、目標や夢をまっとうできなかった失敗(理想自己的後悔)よりも、義務や責任をまっとうできなかった失敗(義務自己的後悔)のほうに対して、対処がすばやいのである。
結果、理想自己的後悔は、未解決のまま心に残りがちである。こうして、”こういうふうになるべきだったのになぁ”という後悔よりは、”こういうふうになりたかったなぁ”という後悔に苛まれるのである」
翻訳でお固い表現だけど、もっと噛み砕いていうと、
「人が最も後悔するのは、義務や責任を果たさなかったことではなく、理想の自分として生きることができなかったこと」というのがポイントだ。
老境に達したファウストが不幸だったのは、明確な自分の理想像がなかったから、じゃないかな。単なるストイックな勉強家に過ぎなかったんだ。
これじゃいけない。人生が、苦しいだけの修行になってしまう。
まず、目標や夢を持つこと。そして、それに向かって努力すること。後悔のない人生の歩み方は、結局これしかないと思う。
夢に向かって努力している人に対しては、さすがのメフィストも付け入る隙がないだろう。