毎日ジムに行くようにしている。
できれば1日に2回、朝仕事前に行き、仕事を終えた夕方にもう一度。
ジムでは自分なりに決めたルーチンがある。
筋肉がきちんと「悲鳴をあげる」だけの負荷をかけ、かつ、オーバーワークにならない程度の運動量を、淡々とこなす。
ジムに長居はしない。鍛える実動時間はせいぜい30分ほど。
何のための筋トレか。
ボディービルの大会に出るとか、具体的な目標があるわけではない。
健康になるためでもなければ、やせるためでもない。
ただ、漠然とながら、「筋肉をつけたい」とは思っている。
やせるためのトレーニングと筋肉をつけるためのトレーニングでは、当然メニューが違ってくる。
やせるためには「低重量、高レップ(回数)」、筋肉をつけるためには「高重量、低レップ」が基本だ。
たとえばアームカール。10kgのダンベルで10回するのと、1kgで100回(あるいは100gで1000回)するのとでは、物理でいう仕事量としては同じでも、体への影響は相当に違う。
前者は筋肥大、後者は引き締めの効果があるとされる。
瞬発力が身上の白筋(速筋)、持久力が売りの赤筋(遅筋)。
どちらの筋肉を鍛えるのか、という話だ。
目的が筋肥大なら、軽いウェイトでダラダラ長くトレーニングを続けても仕方ない。
だから僕は、ジムにいるのは30分だけ。
さっさと筋肉をいじめて、さっさと帰る。
特に食事に気を遣っているわけでもない。
もちろん、仕事柄患者に食事改善や栄養指導をする立場だから、健康的な食事を心がける、という意味での気は遣っている。ただ、筋肥大にプライオリティを置いた食事では全然ない、ということだ。
鶏のササミや卵をたくさん食べて、プロテインをこまめ飲んで、カーボローディングして、みたいなことは全くしていない。
「健康のためにプロテインを」と説く先生がいる。プロテインがある種の病態改善に有効なときもあるだろう。しかし筋肥大への効果は疑わしい。たとえばこんな論文。
『栄養状態良好な閉経後女性が2年間ホエイプロテインを摂取したものの、筋肉量は増えなかったし身体機能も向上しなかった』
https://academic.oup.com/jn/article/145/11/2520/4585841
プロテインが筋肉の増量に、あるいは少なくとも筋肉の減少(サルコペニア)を防ぐのに有効なら、高齢者のQOL維持のためにはプロテインを奨励すべき、ということになる。でもこのRCTでは有意差が出なかった。プロテインの摂取は、無意味だったってこと。
「筋トレといえばプロテイン」と、連想ゲームのようにプロテインが浮かぶのは、業者の販売促進戦略のたまものだ。あんまり乗せられないようにしよう。
そもそも僕は、現代の畜産業で作られる牛乳は体に悪いと思っている。その牛乳から精製して作ったプロテインが体にいい理屈はない。よほど食事のバランスが崩れている人ならプラスになるだろうけど、普通に食事でタンパク質がとれるなら、あえてプロテインを補う必要はないんだよ。
しかし、アメリカ産牛肉を食べないように気をつけている人でも、アメリカ産プロテインとなれば何ら抵抗なく口にするあの心理って、一体何なんだ?
遺伝子組み換え飼料を食わされ抗生剤やホルモン剤を投与された牛のミルクも、パウダーにすれば毒性がチャラになるとでも?
筋トレの能率、なんていうのも全く考えていない。
たとえば、超回復を意識した部位別トレーニング、という筋トレがある。ボディービルの大会を目指してやり込んでいるような人なら必ず実践している方法だ。
筋トレとは何か?一言でいうと、筋線維にダメージを与えることだ。
ダメージを受けた筋線維は、休養と栄養補給によって回復する。このとき、以前の状態よりも少し太くなって回復する。これを超回復という。
超回復、、、ドラゴンボール的というか、中2っぽい響きがある言葉だな^^;
超回復は、筋トレをやってから48〜72時間の休養を経て起こると言われている。
だから、同じ部位を毎日コツコツと鍛えても、24時間の休憩では超回復が起こっていない(筋線維の回復が追いついていない)わけだから、筋トレの能率が悪いのはもちろん、過負荷による筋損傷のリスクさえある。
だから、能率を考えるのであれば、鍛える筋肉は部位別にローテートすることが望ましい。月曜に腕を鍛えたら、火曜は足を、水曜は胸を、木曜になってようやく再び腕を、という感じだ。
こういうトレーニング法があるのはわかっている。
わかっているが、採用していない。なぜか。
僕の筋トレには、具体的な目標がないからだ。能率という言葉が生きるのは、目標があってこそだろう。これといった目標のない筋トレなのだから、能率は度外視でいいんだな。
できるだけ毎日ジムに行く。能率より何より、まずこれが目標。
正直どうしても気乗りしないときはある。何となくしんどいなぁ、イヤやなぁって。
そういうときは「とりあえずベンチプレスだけやりに行こう」と考える。
ベンチ60kgを10回3セット。それだけでいい。他はしなくていいから、それだけをやりに行こうと考える。
気分がちょっと軽くなって、ジムに足が向かう。
ベンチをやる。すると、もう「スイッチ」が入っている。せっかくだからついでにデッドリフトもやっとこうかな、みたいになって、結局ルーチンをひと通りこなしている。
そんな具合に、自分をだましだまし1年間ジムに通い続けた。
熱が38度以上あるのにジムに行ったときには、ごうちゃんもさすがにあきれてた。
「頑張ってるというかさ、依存症なんじゃないの?」
そうかもしれない。
「それがなければ、落ち着かない」というのが依存の定義だとすると、「筋肉への刺激と適度な疲労感、そして今日もちゃんとジムに行ったんだという事実」、これなしでは落ち着かない僕は、もはや筋トレ依存なのかもしれない。
「すごい体だね」と言われる。いや、全然すごくないよ。
やるかやらないか、そして「やる」を毎日継続する。それだけのこと。
誰でもこんなふうになれる。
食べ物に気を遣わなくても、能率を考えなくても、この程度まではいけるということだ。
筋肉は鍛えれば外から目に見えるけど、外から見えない内面の能力を磨いてるもっとすごい人は、世の中にいっぱいいると思う。でも精神の練磨は、人の目に触れない。
そういう意味で筋肉を鍛えるのは、努力の結果がすぐに体に反映される分、なんというか、コスパがいいな。
筋トレ、皆さんも始めてみませんか。