院長ブログ

進化論

2019.8.20

また朝が来てぼくは生きていた。夜の間の夢をすっかり忘れてぼくは見た。柿の木の裸の枝が風にゆれ、首輪のない犬が日だまりに寝そべっているのを。 
百年前ぼくはここにいなかった。百年後ぼくはここにいないだろう。あたり前なところのようでいて、地上はきっと思いがけない場所なんだ。 
いつだったか子宮の中で、ぼくは小さな小さな卵だった。それから小さな小さな魚になって、それから小さな小さな鳥になって、それからやっとぼくは人間になった。
十ヶ月を何千億年もかかって生きて、そんなこともぼくら復習しなきゃ。今まで予習ばっかりしすぎたから。 
今朝一滴の水のすきとおった冷たさが、ぼくに人間とは何かを教える。魚たちと鳥たちとそして、ぼくを殺すかもしれぬけものとすら、その水をわかちあいたい。

谷川俊太郎の『朝』。何回読んでも味わい尽くせないような魅力を感じる。
詩に対して、解説めいたことを言うのは不粋だ。
詩は、詩として、そのまま味わうのが正しい鑑賞の仕方だと思うけど、ここではあえてその不粋を犯して、野暮ったいことを言おう。

一読して分かるように、この詩はダーウィンの進化論を背景にしている。
特に、ダーウィンの影響を強く受けたヘッケルの反復説「個体発生は系統発生を繰り返す」をモチーフにしている。
小さな卵だった「ぼく」が、進化の過程で、魚になって、鳥になって、やがて人間になった。
百年前も百年後もこの世にいない「ぼく」だけど、子宮のなかで自分の由来を復習して、生まれてくる。
「何千億年」は地球の歴史が46億年であることを考えると、詩人独特の表現だろう。
最終節「ぼくを殺すかもしれぬけもの」というのは、ライオンや虎のような肉食獣を念頭に置いての表現だろう。
そういう獣さえ、「ぼく」に連なる進化の系譜のひとつであり、かつ、魚や鳥と同様、水を分かち合う仲間なんだ。

そう、進化論。
発表当時から学者の間のみならず、宗教者をも巻き込んで大論争を引き起こしたし、今なお議論がある。
進化論によって、整合的に説明できる事柄もある。
たとえば共生説。真核細胞のなかにあるミトコンドリアや葉緑体は、原核細胞が起源だとする考え方だ。
二重膜であること、宿主からある程度独立して増殖し内部に独自のDNAを持つこと、内部に原核細胞性の蛋白質合成系が存在することなど、共生説によってクリアに説明がつく。
原核生物が共生を通じて真核生物に、そして多細胞生物へと進化していくという理屈には、一定の説得力がある。

一方、批判もある。たとえばキリン。なぜあんなに首の長い、奇妙な生物が生まれたのか。ダーウィンは、厳しい環境がランダムに起こる突然変異を選別し(自然淘汰)、進化に方向性が与えられる、と説く。首が長いことが生存に有利な状況下で、その形質が次第に強まり、結果、現在の首の長いキリンが誕生した、というわけだ。しかし、現在のキリンへと繋がる中間形態の生物は、化石資料からは確認されていない。
進化論は理屈としては興味深いが、それを裏付ける根拠がほとんどない。

進化論にとって、さらに逆風の研究が現れた。

[特報]ダーウィンの進化論が崩壊 : かつてない大規模な生物種の遺伝子検査により「ヒトを含む地球の生物種の90%以上は、地上に現れたのがこの20万年以内」だと結論される。つまり、ほぼすべての生物は「進化してきていない」


人間を含む現在地球上に存在する生命種のうちの 10種のうち 9種が 10万〜 20万年前に出現したことが明らかになった、という。
学者の推測でもなければ、妄想でもない。
アメリカ政府が運営する遺伝子データバンクにある 10万種の生物種の DNA と500万の遺伝子断片( DNA バーコードと呼ばれるマーカー)を徹底的に調べた結果、この結論に至ったのだ。

衝撃的な研究だと思う。
進化論に決定的にとどめを刺す一撃であり、生物学のパラダイムを根底から変える研究だろう。
元論文はこれだろう。
https://phe.rockefeller.edu/docs/Stoeckle_Thaler%20Human%20Evo%20V33%202018%20final_1.pdf
冒頭にわざわざ、こんな断りがいれてある。
「本研究はダーウィンの進化論を強く支持するものである。つまり、すべての生物は数十億年にわたる共通の生物学的起源を持ち、進化してきた、という理解に基づいた研究である。『アダム』や『イブ』のような単一の生物起源を提唱していないし、聖書にある大洪水のようなカタストロフによる淘汰が起こった、などという主張もしていない」
なぜこんな、蛇足としか言いようのない言葉を冒頭に添えているのだろうか。
内容があまりにもセンセーショナルだから、著者らはこの論文が世の中に与える影響を懸念したのかもしれない。
しかし、幸か不幸か、その心配は杞憂だった。学会でまともに相手にされていないどころか、マスコミもまったく取り上げていない。

進化論が正しくないとすると、何が正しいのか。
ほとんどの生物は、20万年前から10万年前のあいだに、「突如として」地球上に現れた、ということになる。
どこから来たのだろう?宇宙人が運んできた?
どうしてもオカルトめいた話になってしまう。こういう話、僕は好きなんだけどね^^;

進化論が否定されるということは、ヘッケルの「個体発生は系統発生を繰り返す」も否定されるということだろう。
となると、先にあげた僕の好きな詩も、前提となる根拠を失うことになるんだけど。。
それにもかかわらず、やっぱりこの詩はそれ自身のなかで完結していて、美しいままだと思うんだな。