院長ブログ

スポーツとメンタル

2019.7.13

みなさんの身の回りで、人生の一時期、何かのスポーツに熱中してきた人(あるいは現在熱中している人)はいますか?
その人、どうですか?
人間的に、いい人だと思いませんか?
スポーツを通じて、心も体も鍛えられていると思いませんか?

僕の周りにいるスポーツ経験者は、みんなメンタルが強い印象だ。
だから、たとえば新卒の採用面接で、運動部出身者が優遇されるのは個人的にはありだと思う。
「4年間アニメ研究会に入っていました」という人と、「4年間ラグビー部で頑張ってきました」という人が並んだら、別にアニメを差別する気は全然ないけど、新卒採用担当者が後者をとりたくなるのは当然だと思う。
前者が採用担当者にアピールするには、何かよほど形になるもの(同人誌を企画・編集する能力とか、絵が超うまいとか)がないと難しいだろうな。

スポーツが人間のメンタル・タフネスに及ぼす影響を調べた研究。
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0191886907004175
メンタル・タフネス(精神の強さ)という言葉は、何となく使われているが、この概念をしっかり理解するには、スポーツ経験者の観察が有用である。
677人の運動選手(男454人,女223人,年齢15〜58歳,平均年齢22.67歳,標準偏差7.2歳)に協力してもらい、
(a)メンタル・タフネスと困難への対処、(b)メンタル・タフネスと楽天性、(c)困難への対処と楽天性
各々の関係性について調べた。
メンタル・タフネスは10項目中8項目で困難への対処および楽天性と関連があった。
特に、メンタル・タフネスが高い人ほど、困難に対するアプローチ戦略(イメージトレーニング、克服への努力、思考のコントロール、論理的分析)を使おうとし、逆に、困難に対する退避戦略(距離を置く、気をそらす、あきらめる)を使う頻度が減少した。

どんなスポーツであれ、苦しい状況というものがある。
その状況をどう乗り越えるか。頭をフルに使って、窮地を脱しようとする。
見事ピンチを切り抜け、勝利することもあれば、残念ながら破れることもあるだろう。
スポーツをするということは、そういう状況に常に身を置く、ということである。
そしてスポーツで培ったそういう経験は、上記の研究で示されているように、実生活でも決してムダではない、ということだ。
スポーツを通じてメンタル・タフネスを鍛えた人は、日常生活の困難に際しても、逃げない。しっかり向かい合い、克服しようとする。

身近な人の例
・ごうちゃんは中学時代、テニスがうまかった。うますぎて、他の部員と差がありすぎて、まともな練習にならなかったほどだ。加古川市の大会では敵なし。優勝の常連。東播大会になると、チラホラ敵わない人がいて、それでもベスト8。県大会ではなかなか勝たせてもらえなかった。
・A氏は柔道の名門一家の生まれ。青春のすべてを柔道に捧げ、高校時代には兵庫県大会で優勝。大学は柔道推薦で進学した。全日本でも上位入賞し、ソウルオリンピックの強化選手に選ばれた。
A氏、練習試合でソウルに行ったことがある。韓国の選手と試合をした。練習試合とはいえ、お互い本気。特に向こうは日本人相手ということもあって、死ぬ気で勝ちに来る。「妙に強いなぁと思ってん。結局俺が勝ったけど。その人、ソウルオリンピックで金メダルとったわ」
しかし選手層の最も厚い階級だったこともあって、オリンピック出場はならなかった。(後の金メダリストに勝ったのにオリンピックに出れないっていう^^;)
・えびは僕の小学校の同級生。高校時代ボクシングに出会い、夢中になった。ミット打ち、スパーリング、走り込みなど、単調な練習を黙々とこなしていくなかで、自分の体を、そして心を、作っていくことを学んだ。
高校3年生でプロテストに合格。プロになってからも勝ち星を重ね、ついには世界ランカー(WBC世界ライトフライ級17位)にまで登りつめた。しかし人間は、勝ち続けることはできない。いつか負ける日が来る。そして引退を決意する日も。
4年前の試合を最後に引退し、今はバーテンダーとして第2の人生を歩む。

すごい人というのは、どこか遠くにいるんじゃなくて、案外身近にいるものだ。
ごうちゃんもA氏もえびも、分野はそれぞれ違うけど、共通するのは、皆、スポーツから人生を学んだ、ということだ。
勝つためにトレーニングする。いざ本番、戦略が奏功して勝つこともあれば、相手にしてやられて、窮地に追い込まれることもある。もがき、苦しむ。そのまま破れることもあれば、何とか勝利をおさめることもある。ただ、勝ち続けることはできない。いつか、必ず破れる。
そう、これは、ほとんど人生そのものだ。
何か一つのスポーツをやりこんだ人というのは、その競技を通じて、人生を学んでいる。その競技で学んだことは、その競技だけで閉じているんじゃない。人生にも応用が効く。人生で苦しい状況になれば、コートの上で、畳の上で、リングの上で、苦しかったときの経験が生きる。
スポーツ経験者のメンタルがタフなのは、至極当然のことだ。
そうやろ、ごうちゃん。

「あっちゃん、ちょっと待ってくれ。えびちゃんやA氏は知らんけど、俺は違う。
俺はセンスだけでやってた。自分でいうのも何だけど、運動神経抜群だから。野球でもゴルフでも、何やっても人並み以上にうまい。
テニスも、正直そんなに努力してない。別に誇って言ってるんじゃない。
筋トレが嫌いだった。強いショットを打つためには、筋力がいるのはわかる。でも単調な苦行みたいな筋トレが嫌いで、手を抜いてた。
1試合ずっと集中力を切らさないためには、その集中力を支える体力が必要で、そのためには走り込みが必要だっていうのはわかる。でもムダにしんどいことが嫌で、サボってた。
俺はそういう性格だから、県大会まで、なんだと思う。センスにあぐらをかいたプレーで行けるのはそこまで、っていうことだよ。全国大会に行くような人は、センスだけじゃなくて、血のにじむような努力をしていると思う。えびちゃんやA氏もそうだろう。
俺は努力が嫌いだった。強い相手に勝つためには、今の自分にどういうことが必要なのかわかる。でもそういう努力をしなかった。
俺にとって、テニスは中学まで。それ以降、一切やってない。
えびちゃんやA氏はそうじゃないだろう。一線を引いた今も、えびちゃんはアベマTVの企画で戦ったりしてるし、A氏も柔道教室で指導したりしてる。
もちろん、お遊びのテニスぐらいならやるよ。でも、真剣なテニスはもうゴメンだな。
実をいうと、テニスの試合を見ることもできない。錦織とか大坂なおみとかテレビでやってても、絶対見れない。それは、一つには、真剣に見入るとプレーヤーの気持ちがわかって、つらいから。『今苦しいだろうな』とかわかるから、片手間に見れない。見るとぐったり疲れてしまう。えびちゃんはそんなことはない。きのうもバーで普通に村田諒太の試合とか見てるでしょ。ああいうことができるのは、ある程度やりきった人だからだよ。
テニスの試合を見れないのはもう一つの理由がある。こちらのほうが大きいかもしれない。俺は思うんだけど、すべてを捧げなかった人は、それ以後むしろその競技を敬遠するようになるんじゃないかな。怠惰に流れて戦わなかった自分への後悔、磨けばもっと光ったかもしれない才能、あり得たかもしれない輝かしい未来。テニスから逃げたみたいでさ、そういうのがつらいんだ」

勝つ喜び、負ける悔しさなど、スポーツが教えてくれることは多い。
しかし、そのスポーツとの『別れ方』がこじれると、妙に尾をひくことになる。
そういうところは、女の子との別れ方に似てるねぇ^^;