「中学も高校も公立で、そのままストレートに医学部に行って、医者になった。塾には行っていたけど、学校は全部国公立だ。グレて道を踏みはずすこともなく、親に大きな金銭的負担をかけることもなかった。親孝行だろう?
医者になってすぐに結婚して、二人の子供に恵まれた。クリニックの経営も順調だ。
はたから見れば、順風満帆な人生だと映ることだろう。
でも俺は、人生ってこういうものなのか、もっと違う人生があり得たんじゃないか、という可能性をよく考える。人生の岐路で別の道を選択していれば、どうなっていたんだろうか、と。
自分で言うのもなんだけど、俺の危機回避能力って高いと思うんだよ。自分を危険にさらすような妙な冒険はしない。いつも無難な方向、着実な方向に進む。起こり得るリスクを想定して、事前に手を打っておく。たとえば資産管理について言うと、不動産や外貨にも分散させて、経済危機が起こっても困らないようにしている、とかね。
そういう石橋叩いて渡る生き方しかできないのかもしれないな、俺は。
困った事態に陥ることはないと思う。でも本当に俺の人生はこれでいいのか、という疑問は常に消えない。
もう立ち直れないんじゃないかというぐらいのきつい挫折、死を真剣に考えるほどの絶望、心が砕け散るようなショック。
幸いにも、俺はそんなつらい目にあったことがないんだ。
でも、人を鍛えてタフにし、人生の何たるかを真に教えてくれるのは、そういう挫折じゃないだろうか。
ショックのあまり、膝から崩れ落ちて地面に這いつくばる。挫折の苦味に、身悶えしてうずくまる。でもそんなときに、アスファルトの隙間に咲く小さな花が目の前にあることに気付く。その美しさに勇気を得て、再び立ち上がり、人生を歩み始める。
挫折の味を知る人は、そういう花の美しさを知る人でもあると思う。
挫折の経験が多い人ほど、踏まれても枯れない雑草のようなタフさがあると思う。
でも俺は、つまづいたことがない。
うらやましいだって?とんでもない。アップダウンのない、平坦な人生ほどつまらないものはない。起承転結のないドラマを、サビの盛り上がりのない音楽を、誰がおもしろいと思うものか。
君は自分の人生を挫折まみれだと卑下して言う。でもそれは、俺から見ればうらやましい人生なんだよ。
俺にとって、人生は『作業』のようだ。
順調すぎて、引っかかりも取っかかりもない。傷ひとつないきれいな履歴書。
俺は果たして、自分の人生を生きたと言えるのか?
人生の横を、小走りに通り過ぎたようじゃないか?
道を踏みはずさなかった、のではなく、道からはずれる勇気がなかったんじゃないか?
しかし、そもそも、道を踏みはずすってどういうことだろう?
自問のタネは尽きない。
今ではもうないんだけど、昔、福原にあるビルの地下に、小汚いゲームセンターがあった。不良とか素性不明のオッサンとかがたむろしてる貧民窟みたいなところだった。
何年か前、そこで1回50円のゲームを延々やり続けたことがある。毎日、バカみたいにそこに通ってね。年収ン千万円の医者が、そんなところで時間をすり潰しているなんて、誰も思わない。
そのときは、ほとんど衝動的にそういうことをしていたんだけど、今思えば、あれは生き直しをしていたんだよ。普通の自分なら絶対にやらないような時間と金の浪費。そういう非生産的な行為に打ち込んで、別の人生を垣間みようとしていた。
人生の枠からはずれられない自分に対する、ささやかな復讐。
寄り道のない人生を送った人には、寄り道をしたことがないという欠点があって、俺はそのあたりを自分でつついていたわけだ。きれいな肌に、爪でちょっと傷をつけてみるような気まぐれだね」
医学部には偏差値の選別を受けた人が集まっているわけだから、やっぱり頭のいい人が多い。
しかし現役の合格者ばかりではもちろんなくて、同級生の年齢や経歴は様々だった。何年も浪人してようやく合格した苦労人もいれば、社会人として別の仕事をしていた人が一念発起して勉強して合格、みたいな人もいた。
現役で合格した人のなかには、子供の頃から頭がよくて、ついつい勉強できてしまって、人生の壁にぶち当たるでも何に悩むでもなく、スマートに医学部に来た人もいる。そういう人は、ひょっとしたら、上記の話のように、自分でも知らないうちに時限爆弾を抱えていて、いつかそれが爆発して、人生の意味に囚われるときが来るかもしれないよ。
『人生の意味にとって4つの必要なもの、価値のギャップ、そして社会がいかにしてその空白を埋めることができるか』という文献があった。
https://link.springer.com/chapter/10.1007/978-94-007-6527-6_1
一行で乱暴に要約すると、
「自分の人生に意味を感じるのに必要なのは4つあって、それは目的、価値の正当化、自己効力感、自尊心である」
このどこかが揺らいだときが、人生の意味に悩み始めるときだ。
個人的には、人生がおもしろいのは、勝ちも負けもないところだと思う。
勝った人生、負けた人生、というのはない。そんな基準は存在しないんだから。
ただ、満足な人生、不満足な人生、というのは確かにある。
多くの人は『満足』と『不満足』の間を行ったり来たりして、その途中でなんやかんやと喜怒哀楽を感じながら生きていくもので、最後の最後、御臨終のときに、収支で『満足』がプラスなら、人生としては全然上出来なんじゃないかな。