湖のほとりに、翼に傷を負って飛べない鶴がいた。哀れに思った若い男、その鶴に手当てをし、助けてやった。
後日、男が一人で貧しく暮らす家に、美しい女が来た。一緒に暮らすようになり、やがて二人は夫婦になった。
炊事、洗濯など家事をよくする女で、男はありがたく思ったが、女にはひとつ、奇妙な習慣があった。
離れの小屋にこもり、決して中をのぞいてはならない、と言う。その後、小屋から出てくるときには、きらびやかな布を手にしているのだった。布は大変な高値で売れた。そういうことが何度かあった。
「一体、離れの小屋の中で、何をしているのだろう」
好奇心を抑えきれなくなった男は、あるとき、小屋の中をのぞいた。
なかには鶴がいて、自らの羽を犠牲にして機織りをしているのだった。
ああ、女はあのときに俺が助けた鶴であったか。人に姿を変え、恩返しに来てくれたのか。
姿を見られたことに気付いた女は、もはや男と一緒にいることはできないと、男のいる村を飛び去って行った。
『鶴の恩返し』である。
この話自体が、美しい比喩だと思われる。
惚れた男と一緒になったものの、貧困で生活が立ち行かない。 少しでも生活が楽になればと、離れの小屋で春をひさいだ。それはやがて男の知るところとなった。女の裏切りに、男は怒りで震えた。しかし同時に、その裏切りは自分への愛ゆえだということも、男にはわかった。情けない。こんなことをさせてしまうなんて、俺はなんて情けない男だ。一方、女は、羞恥と申し訳なさで、顔をあげることもできない。私の恥を知られては、もはやこれまで。こうして夫婦の仲は折り合わなくなり、女は男のもとを去った。
「いきなり何?何の話?」
「いや、だからね、子供の頃に聞いたおとぎ話とか童謡の類って、裏の意味があるんだよ、っていう。
『マッチ売りの少女』も、マッチの灯っている間だけスカートの中をのぞかせますよ、っていう、本来下世話な話だし。
絵本の『鶴の恩返し』は5歳の子供に安心して読ませられるけど、こういう裏の意味を知るのは、せめてもう10年人生経験を積んでからのほうがいいだろう。
しかし婦人科に勤めていれば、こんな話は山のようにあるよ。
多分STDだから抗生剤出してくれ、って患者が言う。思い当たる行為はありますかって聞くんだけど、
『そんなの、ありすぎてわからない。フーゾクで働いてるから。旦那も子供ももちろん知らない。飲食店で勤めてることになってる。
仮に旦那が知ったところで、何も言えないんじゃないかな。食費、光熱費、家のローン、子供の学費。それに、ときには外食したり旅行に行ったり、ちょっとした贅沢もしたい。でもあの人の収入だけじゃ、そんなの絶対無理。まったく家計が回らない』
日本が一億総中流社会だったのは、もはや昔の話だよ。生活保護をもらっている貧困家庭が増えていることは、君も臨床現場でひしひしと感じているだろう。
一握りの富裕層と、それ以外の貧困層への二極化は、今後ますます進んでいくはずだ。
となれば、どうなる?
夫に隠れて(あるいは夫の公認のもとで)、我が身を張って家計を助ける『鶴の恩返し』的女性も、今後増えていくと思わないか。
しかし、俺は思うんだけど、事実を知ったときの子供はきっとショックだろうなぁ。
なるほどお札に名前は書いてないよ。どんな経緯で入手しようが、金は金だ。
でもさ、母ちゃんが訳の分からん男に抱かれて貯めた金のおかげで塾に行けてるのかって思うと、子供は何ともやるせないと思うだろうなぁ」
現代日本では、女の正体に気付いたとて、『俺は全然いいからさ、もう一反、布を頼むよ』と開き直る男もたくさんいるだろう。
女を働かせて情けない、という美学を保つだけの余裕がないんだ。皆、生活苦で追い込まれている。日本もいよいよそういう時代に突入したということだな。
現実は、おとぎ話みたいにきれいにいかない。