院長ブログ

ミオンパシー

2019.1.25

今週は東京出張。
ミオンパシーの施術者の方々と話したり、大学時代の同級生と久しぶりに飲んだりした。

ミオンパシーは整体の一種だけど、いわゆるマッサージではない。指圧でギューギュー押してもらうつもりで施術を受けに来れば、イメージを裏切られることになるだろう。
ミオンパシーでは、肩こりや腰痛などの筋骨格系の不調は、筋肉のロック現象が背景にあると考える。その原因の多くは血流不全(およびそれに起因する酸素や栄養分の不足)だ。
施術者は患部の筋肉に触れ、その性状を評価する。そして患部に適切な血流を送るための姿勢を客にとらせ、一定時間その姿勢を把持する。その間、施術者も客もそのまましばらく動かない。
そう、一般の按摩・マッサージが患部に常に他動的な圧力をかける「動」の施術だとすると、ミオンパシーは「静」の施術とでも言うべきものだ。
ミオンパシーにおいて、施術者はあくまで黒子である。血流を改善するのは他ならぬ客自身の自然治癒力である。施術者の役割は、様々な要因によって発揮できずにいる客の自然治癒力を導き出すことだ。
「どんな治療を試しても治らなかったが、ミオンパシーのおかげで初めて体調の回復を実感した」そんな声は無数にある。
初めは客として通っていたが、施術のあまりのすばらしさに惚れ込み「自分でもこの技術をマスターしたい」と思って、施術者になった、という人もたくさんいる。
仕事を通じて、人を笑顔にしたい。
そう、誰だってそういう仕事がしたいだろう。ミオンパシーはまさに、そういう技術の一つで、今日も世界の笑顔を増やしている。

一方、しかめ面を増やすのが西洋医学だ。
西洋医学は、ミオンパシーとは正反対のアプローチである。ハナから人間の自然治癒力など信じていない。人間の体というのは救いようのないほどバカで、いったん壊れたら勝手に治ることのない機械のようなものだと考えている。姑息的治療という言葉があるが、何のことはない、西洋医学そのものが姑息的で、症状に対してそれを押さえつけるだけの治療しかしていない。

肩こりを訴えると、痛み止めが出た。最初は少し楽になったと思ったが、段々効かなくなった。こりもひどくなっている。すると今度は、デパスを処方された。薬を飲むと一瞬、確かに肩こりのことを忘れられるようだ。しかし薬の効きが切れると、たまらない。症状は次第に悪化し、腰痛まで出現した。薬が増量された。痛みは多少楽になるが、意識がぼんやりして、もはや普通に仕事することはできない。坐薬による鎮痛剤投与まで受けるようになった。やはり薬の効いている間だけは楽になるが、切れると地獄のような痛みが襲ってくる。最後には、仙腸関節ブロックの注射に頼るようになった。この頃には、背中の筋肉が死人のように冷たく硬くなっていた。
気の毒にね。現代医学の犠牲者だよ。しかもこんな人は、世間に山ほどいるだろう。
何とか他に手段はないものか。インターネットを探し探して、ミオンパシーにたどり着いた。
ミオンパシーのすばらしいところは、こんな薬漬けの、自然治癒力が壊滅的に抑えつけられた人に対してさえ、効果を発揮するところなんだ。
症状即ち治療。痛みやこりは、それ自身、治癒反応なのに、これまで薬で症状を紛らせていた。つまり、鎮痛剤の本質は、血流遮断薬であり治癒反応阻害薬だ。
ミオンパシーは、こういう人さえも救ってしまう。
痛み止めで眠らせていた自然治癒力が、むくむくと目覚め始める。
患部の血流が回復し始め、プロスタグランジン(発熱物質、痛み物質)の産生が始まる。冷えきった背中に血と熱が通い始めたが、それは同時に、痛みの再来でもある。
施術を終えた客が、露骨に不愉快な表情をして、施術者に言う。
「あのさ、余計に痛くなったんだけど。。。どうしてくれるの?
体の不調をとる、楽にしてくれるっていうから、やってもらったんだよ。でも逆じゃないの。
まさかとは思うんだけどさ、こんなので金とらないよね。払う気ないからね。
むしろ逆でしょ。痛くしてくれたんだからさ、お金もらわないと納得できないよ」

施術者が僕に話す。
「私はもう7年この仕事をしています。多くの人を癒やし、健康を取り戻す手助けをしてきた、という自負があります。
でもこういうお客さんの言葉で、自分のこれまでの誇りや自信を全否定されるような気持ちになります」

真の治癒反応を引き起こしてしまい、結果、客の満足度が低下してしまうという恐ろしい逆説が起こり得る。本物ゆえのすごさだろう。
できることなら全員を救ってあげたいけど、悲しいかな、救ってしまってはいけない人がいるようなんだ。
本物の技術は、客を選ぶ。
「お客様は神様」ではなく、客の選別ということがあってもいいと個人的には思うんだな。