先週、縁あってホメオパシーを実践している人と出会って、いろいろな話を聞いた。
それで、僕も何冊か関連書籍を買って、読んでいる。
実践しようとまでは思わないけど、こういう治療体系があるのかぁって知るだけでもおもしろい。
ホメオパシーというのは、同種療法のこと。
「ある病気の症状に対して、その症状を起こす物質を、ごく微量に薄めて投与すると、かえって症状が軽快する」というのが、おおよその説明だ。
ホメオパシーの創始者はドイツのハーネマンという人。
マラリアの特効薬キナを健常人に投与すると、発熱、発汗などマラリアとそっくりの症状が出現することに注目し、ホメオパシーの着想を得た。
悪い症状を抑えようとするのではなく、逆に排出するよう後押しする、というのがこの医学のキモで、西洋医学とは真逆のアプローチなんだ。
たとえば風邪をひいて咳、吐き気を伴う発熱患者に対して、どうするか。
一般的な医者なら、メジコンとかナウゼリン、あるいはPL顆粒とかトランサミンあたりで症状を抑えようとする(抗菌薬使うお医者さんはヤバい。シナール出す先生は良心的。)
漢方医なら麻黄附子細辛湯とか葛根湯かな。
ここでホメオパシー医なら、イペカックというレメディ(治療薬)を使う。
イペカックは南米原産のアカネ科の低木で、健常者が服用すると咳や吐き気を催させる作用があるんだけど、ごく微量に薄めて投与すれば、逆に患者の症状は軽快するという。
おもしろい発想だ。
考え方としては漢方に近いと思う。
葛根湯には麻黄が含まれている。麻黄には発汗作用があり、体の熱や腫れを発散させる。
つまり、発熱している人に対して発熱を促す生薬を投与しているわけで、ホメオパシーと相通じるものを感じる。
ホメオパシーには批判も多い。
たとえば、ある症状に対するレメディを作る際には、その症状を引き起こす成分を使うんだけど、成分そのままでは有毒なので、水でごく微量にまで薄める。
その薄め方が、もう、ハンパじゃなくて、10倍希釈、100倍希釈どころじゃない。
10の60乗とか、天文学的なまでの薄さまで薄める。アボガドロ定数を基準に見ると、もとの成分を構成する分子がひとつも残っていない可能性さえあり、その点についてはホメオパシー医も認めている。
「こんな薄いものが効くわけがない。ただのプラセボ効果だろう」という批判が後を絶たない。
本当に効くのですか。
「効く、としか言えないな。回復した患者を無数に見てきたし、私自身、体調が悪いときにはその不調を改善すレメディを摂取して、効果を実感しているから。
残念ながら、打率10割というわけではない。一回試してみたものの効果を実感できなかったということで、ホメオパシーを見限ってしまった患者もいる。
でも、ホメオパシーの有効性を示すエビデンスは無数にあるよ。
西洋医学に限界を感じて、ホメオパシーを使う患者はどんどん増えている。
ホメオパシーの理論は、ハーネマンが200年ほど前に創始して以後、根本的なところでは変わっていないんだけど、実践医の様々な知見が加わったり、新しい発想を導入する人もいて、次第に進歩している。
完成された医学というわけではなくて、現在進行形の医学でもあるんだ。
これは西洋医学はもちろん、漢方だってそうでしょ。
黄帝内経に見られるように、すでに二千年前に漢方医学のおおもとはほぼ完成していたとも言えるけど、明や元の時代にもいろいろな天才が出て、これまでの体系に新たな知見を加えてさらに完成度を高めてきたし、日本に輸入されて和漢として独自の進歩をした。
ホメオパシーも同じことだよ。
目の前の患者を何とか救えないものかと、実践医が様々な工夫をこらす。その工夫が有効で、かつ、普遍性が認められれば、ホメオパシーの治療法の1ページに新たに加えられることになる。
90年代にJan Scholtenというホメオパシー医が興味深い説を唱えた。
レメディのなかには硫黄や水銀など、元素そのものを使うものがあって、彼はそういう元素から作られたレメディの特徴を、周期表との関連においてまとめあげた。
そう、化学の授業で使う、あの周期表だよ。
また、彼によると、周期表は「人間の精神的な進化プロセス」を暗示した系統樹になっている。
周期表はおおよそ、7行と18列で表現されているが、彼によると、横の18列は、個人が通過していく人生のプロセス(行動や試練など)を、縦の7行は、人が誕生、成長、進化していく段階(ステージ)を暗示している。
縦の7行、すなわち人の進化段階はこのようになる。
第1階層<宇宙との未分化>
第2階層<肉体的存在の確立>
第3階層<自我の確立>
第4階層<社会性の確立>
第5階層<独自性の確立>
第6階層<優越性の確立>
第7階層<宇宙との融合>
一方、横の18列は、以下のような意味を持っている。
第1族<始まり>
第2族<迷い>
第3族<試験的行動>
第4族<公に実行>
第5族<準備段階での行き詰まり>
第6族<挑戦し証明する>
第7族<協力関係>
第8族<佳境に入る>
第9族<最後の仕上げ>
第10族<ゴールに達成>
第11族<維持と守り>
第12族<過剰さと衰退の兆候>
第13族<過去への執着>
第14族<空虚な形式>
第15族<放棄>
第16族<過去の想い出>
第17族<終焉>
第18族<休息>
7つの階層のそれぞれを、音楽でいう1オクターブと考え、18の横列をドレミの音階だと考えるとわかりやすい。
まず、人は第1階層に誕生し、18の横列が示す人生プロセスをクリアさせながら成長していき、それを終えると第2階層に進み、再び18の人生プロセスを歩んでいく。
しかし、その成長のプロセスは、順風満帆とは限らない。挫折したり失敗することもあるだろう。そういうとき、その位置に属する元素から作られたレメディが、役に立つ。
たとえば、君は今、第5階層「独自性の確立」にいて、かつ、第6族「挑戦し証明する」段階にいる。つまり、Mo(モリブデン)のところにいるわけだ。
君は今、自分の才能を発揮できないまま失敗するのではないかと不安になっていやしないか?そういう症状があるとすれば、まさに、Moのレメディが著効する、ということだ。
今後、第5階層を進んでいくなかで、たとえば固定観念に縛られて悲観的になったときにはSn(すず)を処方するし、イライラや支離滅裂な気分にはI(ヨウ素)を処方する。
そう、Scholtenの考え方によれば、周期表とは、まさに、人生の羅針盤であり、健康への指針でもあるわけだ。
第5階層の課題は、独自性の確立だ。ルールの順守と、それを乗り越える勇気。これを経ることなくして、創造性は発揮できない。
この階層を経ることで、君は影響力を獲得していくことだろう。ただしそれは、権力や地位によってではない。才能と独自性によって、だ。
権力を発揮するようになるのは、次の第6階層に到達してからのことだ。
この第5階層は、せいぜい太陽のおこぼれを受けて輝く月であって、社会的には格別の力を持たない。
順境、逆境、さまざまな苦楽を味わいながら、君は次々と人生のプロセスを経ていき、やがて第6階層に達するだろう。
第6階層は、成熟が深まり、ついに権力者として君臨する段階だ。責任を背負いながら、人に影響されるよりも影響を与えていく側の立場だ。
他者から抜きんでたことの代償に、一抹の孤独を感じることにもなるだろう。挑戦者の若さを失った代わりに、チャンピオンの誇りが精神的な支えとなるだろう。
しかし、築き上げた地位からいつまた転げ落ちるのではないかという恐怖もある。
第6階層の課題は、世俗の権威と神聖な権威の統合だ。
会社の社長たちを見てみるといい。出世競争を勝ち抜いて、会社の頂点に立った。
社員の生活を支えねばならない責任感の重さ。トップとしての孤独。
世俗の権力を行使できる快感と、同時に、企業として社会に貢献したい崇高な思い。
社長の心のなかでは、俗と聖がせめぎあっていて、その統合がこの階層での課題なんだ。
たとえば自己陶酔や落胆にはPt(白金)を、過剰な虚栄心や理想主義、絶望感にはAu(金)を処方することになる」
おもしろい。
とても科学的とは思えないけど、周期表が、それこそ人生の周期を表しているという発想には、斬新さを感じる。
ただ、目の前の患者に対して実践する医療としては、いまいち説得力に欠けるかな、とも思う。
まず栄養療法でやっていきたい、という思いもあるしね。
でも、ホメオパシーにせよ栄養療法にせよ、西洋医学を実践する人から目の敵にされているという点では同じなので、ホメオパシーを実践している人には、何とも言えないシンパシーを感じる。
世間から叩かれるものな。
ホメオパシーのウィキペディアの記述とかひどい。悪意のある人が編集してるんだろうな。
「分子のかけらも残っていないようなレメディなど、毒にも薬にもならない。効くはずがないんだ」と一般のお医者さんが言う。
毒にも薬にもならない。
仮にこれが本当だとしても、僕はこれで大いにけっこうだと思っている。
ねぇ、お医者さん、自分が処方してる薬がどれほど毒性があるかってこと、考えたことありますか?