ホッファー晩年(2005年)のインタビュー。
インタビュワーとこんな会話があった。
「1957年に先生はこう言われていました。40年後、1997年頃にはオーソモレキュラー療法は広く受け入れられているだろう、と。
今の状況をどのようにご覧になっていますか」
「ふむ、私が間違っていたね。(Well, I was wrong.)」
ナイアシン、アスコルビン酸をはじめとするビタミンが各種疾患にいかに有効であるか、それを実感しているホッファーである。
こんなにすばらしい治療法が広がらないはずがない。
半分毒みたいな薬を製薬会社がどれだけ宣伝したところで、最終的に選ばれるのは、本物に決まっている。
患者はバカじゃない。自分の体で以って、それがいいものか悪いものか、当然わかるし、患者の口に鍵をかけることはできない。
評判が評判を呼んで、オーソモレキュラー療法はまたたくまに広がり、40年後にはきっと一般的な治療になっているだろう。
ホッファーはそんなふうに考えていたんだと思う。
ところが、現実はどうなったか。上記のように、自分の読みがはずれたことをホッファーは素直に認めている。
そう、医療は変わらなかった。統合失調症には相変わらず抗精神病薬が第一選択で(というか実質他の選択肢はない)、誰もビタミンを使ったりしない。
そもそも医学部教育が変わっていない。ビタミンは欠乏症を防ぐだけの単なる栄養素であって、「疾患治療のためのビタミン」という概念はまったく教えられていない。
血圧が高いなら降圧薬で下げろ、コレステロールが高いならスタチンで下げろ、とクスリ一色。こんな教育を受けて医者になるものだから、ビタミンを使おうという発想自体がない。
つまり、医療は何も変わっていない。
ところがホッファー、上記の発言に続けて、こう語った。
「1957年から50年が経って、ようやく状況が変わり始めていると思う」
テレビ、ラジオ、新聞しかなかった時代には、これらのメディアがほとんど唯一の情報源で、莫大な宣伝費によって製薬会社が大きな影響力を持つことができた。
しかし、情報のあり方に革命的な変化が起こった。ネットの時代が到来し、誰しもが情報を発信できるようになったのだ。
薬害の悲惨さを語る人々やビタミンのすばらしさを語る人々の声が、ネットを通じて世界中に拡散されるようになった。一般人が専門的な論文に簡単にアクセスできるようになった。知の扉が、みんなに広く開放されたんだ。
相変わらず投薬一辺倒の医者を尻目に、一般大衆が真実を知るようになり、今や医者よりも患者のほうが自分の病気に精通しているという「知識の逆転現象」も珍しくない。
医者は「精神疾患がビタミンで治る?そんなバカなこと、聞いたこともない」と患者の話を嘲笑するが、患者はオンライン上の論文データベースを検索し、ビタミンの有効性を裏付ける研究がすでに何十年も前に行われていることを知っている。
一体どちらが学者なんだ、知識に謙虚なのはどちらなんだ、という話で、大学で学んだことだけで実臨床をやろうとする医者は、患者から置いてけぼりを食らうだろう。
こういう流れは、恐らく今後も止まることはないし、ますます加速していくと思う。
かくいう僕自身も、インターネットのおかげでオーソモレキュラー療法の存在を知った。
“Orthomolecular Medicine For Everyone”を読み、大きな感銘を受けた。オーソモレキュラー療法のエッセンスが簡潔にまとまった傑作だと思った。
アメリカでの出版は2008年と、十年近く経過しているが、内容はまったく古びていない。そして驚いたことに、こんなにすばらしい名著なのに、邦訳がない。
「もっと多くの人に読まれる価値のある本だと思います。私の翻訳を通じて、この本を日本人に紹介することをお許しいただけないでしょうか」
ホッファーはすでに故人となっていたが、共著者のソール先生に熱意を込めたメールを送った。
ソール先生から国際オーソモレキュラー医学会会長の柳澤厚生先生を紹介され、その助力のもと、僕がこの本の翻訳を担当を任せてもらうことになった。
ホッファーやソールといった栄養学の大御所の声を汲み取って、その声を日本語に衣替えし、日本人のみんなに届けるという仕事である。
こんなにやりがいのある仕事が他にあるだろうか。今後長く続く人生のなかで、こんなに熱い仕事、こんなに誇らしい仕事、何を投げうってでも成し遂げたいと思う仕事が、他にあるだろうか。
自分の持てるすべてを注いでこの仕事を完成させるんだ、と奮い立った。
当時僕は勤務医で、毎日の仕事に忙殺されていたんだけど、休日はもちろん、診察の合間や昼休みにも翻訳作業に没頭した。
そうして編集者も驚くほどのハイペースで翻訳を完成させ、原稿を出版社に委ねた。
でも、そこから先が全然進まない。
待てども待てども出版されない。
電話して、出版に向けての進捗を電話すると、
「忙しくて、申し訳ありません」と丁寧に謝られるんだけど、謝罪なんていいよ。とにかく、話を早く進めてよ。
せっつく電話を頻繁にかけるのもな、という遠慮がたって、あまり積極的な催促もできずにいた。
翻訳を完了して一年が過ぎたある日、僕は思い立って、編集者にこう伝えた。
「一年経ちました。さすがに、もういいかなと思います。出版の件、もうけっこうです。翻訳を通じて、僕自身勉強になりましたし、もういいです」
あせったのか、さすがに動いてくれて、来年1月には出版できるのではないかと思います、という言質を得た。単なる口約束だからどうなるかわからんけど。
「あ、それからですね、中村さん、訳者あとがき、を書きませんか」
はよ言うといてくれよ、って思ったけど、そういう話があったのが先週のこと。今、どんな訳者あとがきを書こうか考え中。
みなさんに早く翻訳本を届けられる日が来ればいいんだけど、どうなることやら´Д`