院長ブログ

そろばん

2018.10.2

「読み、書き、そろばん」という。
義務教育で習得しておくべき教養のエッセンスだ。
読み、書きについては、日本語についてはもちろん、英語の読み、書きも求められる時代かもしれない。
そろばんについては、計算機の発達した今日、生活での実用性はほとんどない。
しかし、意外なことに、町のそろばん教室は近年むしろ盛況だという。
そろばんによる教育効果(暗算力、集中力など)を期待する親が、子供に習い事として勧めるのだ。
確かに、公文とか計算方法の暗記ばっかりのところに行かせるより、そろばんを通じて位取りの概念になじんだり10進記数法というものに対して意識的になることのほうが、理系的センスが育つと思う。
これにはすでに研究があって、そろばん経験のある子、そうでない子で算数の問題に対する正答率を比較したところ、そろばん経験のある子のほうが有意に高かった。
(http://ftp.recsam.edu.my/cosmed/cosmed05/AbstractsFullPapers2005/files%5Csubtheme1%5CCBL.pdf)

理系的センスは文系の人にも必須だと思う。
「自分は根っからの文系人間だから、理系的センスはいらない」と開き直っている人って、そもそも学問自体にあんまり向いてないような気がする。
学問って、どんな学問でもそうだと思うけど、論理の積み重ねでしょ。国語も歴史も経済も、みんな結局のところ、ロジックの体系だ。
だから、論理の運用に不慣れっていうのは、そもそも勉強に向いてないんじゃないかな。
でも、だからといって悲観することはない。そういう人は、芸術系とか感性の世界で自分を磨いて勝負すればいい。料理の腕を高めたり、理容師の技術を身につけたり、絵や音楽、映像で自分を表現したり。
自分のセンスを仕事にして、大成功している人も世の中にたくさんいる。
誰しもが当たり前みたいに大学に行って、当たり前みたいに就活して、っていう時代だけど、そもそも勉強に向いてない人、つまり大学に行ってもあんまり意味のない人って絶対いると思うんだよなぁ。
そういう多数派が行く無難そうな道よりも、専門学校とかで職業に直結した技術を身につけるほうが、人生の生き方としておもしろいんじゃないかな。

さて、そろばんの話。
そろばんって、幼い頃から長年やりこんでいると、頭の中にそろばんの玉がイメージできるようになるんだね。
将棋のプロ棋士は頭の中に将棋盤を再生して、棋譜をイメージできるっていうけど、そろばんの名人も頭の中のそろばんを使って、普通の人からすれば考えられないような複雑な計算を一瞬でできたりする。
足し算だけじゃなくて、加減乗除、全部そろばんでできちゃうし、もっと達人になると、開平法(2乗根)、開立法(3乗根)までできる。
しかも、下手すればその暗算のほうが計算機より早かったりするんだから、人間の能力って恐ろしいな。
1946年GHQの占領下にあった日本で、逓信省に勤務するそろばんの達人(松崎喜義)とアメリカの最新の電動機械式計算機とのあいだで計算勝負が行われ、4対1でそろばんが勝ったという。
敗戦国のそろばん名人が戦勝国の最新マシンに一矢報いた格好だ。

さらに、日本のそろばん名人とアメリカの戦いといえば、もう一つ。
みなさん、ファインマンって知ってますか。
量子電磁力学の大成者と言うべき人で、ノーベル物理学賞を受賞した天才なんだけど、この人、31歳のとき(1949年)にブラジルに旅行してて、そこで日本人のそろばん売りと出会った。
その人の名前は記録に残っていない。あちこちでそろばんの便利さを説いて、買ってもらうのが彼の仕事だった。
あるレストランで、店主に「いくつでも数字を言ってください。誰よりも早く計算しますよ」と言った。負けて面目をつぶされたくない店主は、たまたまレストランに居合わせたファインマンを示した。
「あの人と計算勝負してごらんなさい。なかなか手ごわい人ですよ」
第二次大戦後、地球の裏側のブラジルで、日本のそろばん名人とアメリカの誇る俊英ファインマンが、双方のプライドを賭けて戦うことになったわけ。
どちらが勝ったと思いますか。

足し算ではそろばん売りの圧勝だった。単純な加法ではさすがのファインマンも才能の発揮しようがなかった。
「掛け算でも勝負しよう」そろばん売りは勝利の余韻に興奮して言った。
ファインマン、掛け算でも負けた。しかし足し算ほどの完敗ではなく、いい勝負だった。
「今度は割り算だ」ここがそろばん売りの誤りだった。計算が複雑になるほどファインマンの勝機が大きくなることに、彼は気付いていなかった。
双方、必死で長い計算をしたが、結果はドローだった。
そろばんには絶対の自信のある男である。目の前の男が物理学の歴史に名を残すほどの天才であることを知らない彼には、ドローという結果は不本意極まりないものだった。
「三乗根で勝負だ!」復讐の念を込めて叫んだ。
彼は紙に無作為に数字を書いた。その数字をファインマンは克明に覚えている。1729.03。
ランダムに書いた数字だったが、この数字を選んだことが、そろばん売りの最大の敗因だった。
必死の形相でそろばんをはじく日本人を尻目に、ファインマンは紙にまず12と書き、しばらく考えて、12.002と書いた。
見事に正解。
店主は言った。「ほら、この人、そろばんなしであなたに勝っちゃったね。そろばん、買わないよ。帰ってね」
そろばん売りは屈辱をこらえながら、店を去っていった。
(https://www.ee.ryerson.ca/~elf/abacus/feynman.html)
『ご冗談でしょう、ファインマンさん』から僕がテキトーに訳しました。

なぜファインマンはすぐに答えられたのか。
これはそろばん売りの数字のチョイスが不運だったとしか言いようがない。
アメリカ人ってフィートとインチをよく使うから、ファインマンは1立方フィートが1728立方インチであることを知っていた。だから、まず、ざっと12だろうと見当がついた。
さらに、「1よりわずかに大きい数の 立方根は, その超過分の 1/3 だけ 1 より大きい」(テーラー展開そのもの)ことを利用して、小数点以下の数字を計算した。
(ちなみに1728はラマヌジャンの「タクシー数」1729=1^3+12^3=9^3+10^3にも近くて、こういう偶然もおもしろい。)

ファインマンは原爆開発プロジェクト(マンハッタン計画)にも参加してて、日本人としてはちょっと複雑な心境になるんだけど、youtubeにあがってるこの人の動画を見ると、授業が学生から大人気だったっていうのがよく分かる。
頭のよさがずば抜けているのはもちろん、人間的にも魅力的な人なんだな。
その点、ノイマンなんかはとにかく頭のいい人だけど、人間的な魅力としてはパッとしない。それに彼、原爆投下の目標地点として京都を強く推した。「京都が日本国民にとって深い文化的意義をもっているからこそ殲滅すべきだ」と。頭がいい人だけに、敵国のいじめ方、心の折り方もよくわかっている。怖い人だね。