手術台の上の横たわる若い女性患者がいて、その横には麻酔科医がいるものだから、A先生、患者が深く眠っていると思い込んで、オペ室に響き渡る大きな声で言った。『おー、いい乳してるなぁ』
看護婦がすばやく先生のもとに駆けつけて、耳元でささやいた。『先生、ルンバールです。全麻じゃありません』
オペ室に麻酔科医がいると、つい全麻のオペだと思ってしまうのが外科医の習性なんだな。
しかしこの患者さん、恥ずかしかっただろうな。いっそ麻酔で眠らせてくれって思ったと思う笑
こんな話をすれば、この先生がすごくふざけているような印象を持ってしまうかもしれない。でもそれは違う。
A先生、手術中にはすごくよくしゃべるっていうことで、オペ看の間では有名な先生で、この饒舌さは先生のスタイルなんだ。
手術室というのは基本的に、非常に緊張感の漂う現場だ。麻酔で人工的に眠らせた患者は、死体のように動かない。いわば「死んでいる」。いったん死んで、その間に病巣を除去し、再び生き返る。手術室での「死」は、さらに輝く「生」を得るための手段なんだ。
この「死」は、肉体的にはリスキーな状態で、下手すれば本当に死んでしまう。ティッシュトートはあってはならない。手術室に緊張感が漂うのは当然のことだ。
手術室の空気というのは、メッサーが作るものだ。
無駄口ひとつたたかず、常人離れした集中力と洗練された手技で、すばやく術式を完了させる、というのもひとつのスタイルだろうが、A先生のスタイルは真逆なんだ。
手と同じぐらい、口が動く。まぁ、よくしゃべることしゃべること。でも集中していないわけでは決してない。器械出しのナースや鉤持ちの研修医相手に、きのうの晩飯に何を食ったとか、息子が思春期で最近自慰の味を覚え始めたらしいとか、本当に実のないバカみたいな話をしてるんだけど、手の動きは正確無比で、着々と手術を進めていく。
こういう具合だから、A先生の手術室は、緊迫感のなかにもどこか和やかなものがある。A先生は自分が神様じゃないことを知っている。あってはならないことだが、自分だって時にはミスをする。そういうときに、誰も口出しできないような雰囲気だったらどうなるか。取り返しのつかないことになるかもしれない。何か異変に気付いたら、それをすぐに指摘してもらうための空気を作る。それがA先生の狙いどころなんだ。
手術というのは共同作業であって、一人ではできない。雰囲気が重要だ。
過度に張りつめず、適度な緊張感のある手術室の雰囲気。だらけず、かつ、硬くなりすぎず、オペに携わる各人が100%の力を発揮できる雰囲気。
この大切さは外科医なら誰しも知っている。では、どうやってその雰囲気を作るか、となると、先生ごとにスタイルが違ってくるわけだ。
音楽を使う先生もいるね。高校生のときからずっと好きだ、ということでBOOWYの曲ばっかり流す先生もいれば、クラシック流す先生もいたり。
ゲーテの一節にこんなのがある。
王に捧げる玉座を作る職人にとって、製作中、その玉座は完全に職人の手の中にある。どんな彫金を入れるも装飾を施すも自由。しかし、完成後、ひとたびその玉座を王に献上すれば、その職人も他の下々の民同様、その玉座に腰かける王の前にひざまずかねばならない。もはやその玉座に触れることさえ許されない。
外科医もこの精神だよね。オペ中、患者の体は外科医の前に開かれて、すべてが委ねられている。手術により病巣を摘出した患者の体は、外科医にとってひとつの作品だろう。しかしひとたびオペが終了し、患者が麻酔から目覚めたならば、患者はもはや人格を持った別の存在であって、敬意を持って接さないといけない。
もちろんA先生もこの精神を持った外科医だ。ただ、ときにはこの饒舌スタイルのせいでエラーをしてしまう。『いい乳してるなぁ』はさすがにひどい笑
でも個人的にはこういう先生、人間味があって好きだなぁ。