ようやく『万引き家族』を見てきた。
安藤サクラって女優、全然知らなかったんだけど、すごい演技で印象に残った。
演技というか、自然体な感じで、映画じゃなくてドキュメンタリー見てる気分になった。監督の采配が当たったハマり役、ということだろう。
最後、警察の取調べを受けているとき、しばらく彼女のアップが映る。「あなたのこと、何て呼んでたんですか。ママ?お母さん?」と婦警が尋ねる。
髪かきあげながら、しばらく答えない。ようやく出てきた言葉が「何だろうね」。目に涙浮かべながら、さらにもう一度、「何だろうね」。
このシーンにはしびれたなぁ。
何かこっちまで泣きそうになったよ。いや俺みたいなおっさんが汚い涙流したからって何いうことないねんけど、見てると自然に目が熱くなってきたっていう感じ。
タイトルが示す通り、社会のはみ出し者みたいな人たちが寄せ集まってできた家族(のようなもの)が、この映画のテーマだ。
万引きしたり風俗に勤めたり、みんなご立派なことをしてるとは言い難い人たちなんだけど、彼ら、血の繋がりはないのに本当の家族以上に家族のようで、実に仲良くやっている。
あることをきっかけに一家の犯罪がすべて、警察やマスコミに露呈する。取調べ中、刑事が一家の父親的立場の男(リリー・フランキー)に、子供に万引きをさせていたことの非をなじる。
一般の感覚では、子供に万引きさせるなんて言語道断、ということになるのは当然だが、ここまで映画を追ってきた観客には、家族側の気持ちが痛いほどわかる。
むしろ刑事の説く正論が、何とも空疎に聞こえる。
確かにろくでもないことをしている家族だが、それより何より、この家族には愛があるんだ、ということが、警察には伝わらない。
もちろん、この映画のメッセージは、貧困者による反社会的行為を擁護することではない。映画は、ただ、そういう家族がいるということを淡々と提示しているだけで、その行為の善悪について、安易に答えを出すことはしていない。
答えはこの映画を見た人がそれぞれに見つけていくしかないということだろう。
医者として、社会の生み出すこのような矛盾に直面することがある。
生活保護家庭の患者と接することもあれば、虐待を受けた児童の心のケアに当たることもある。
社会への不適応は、周囲の環境のせいか、本人の努力不足のせいか。
理由はそれぞれだが、こういう患者に出会ったときにいつも感じるのは、無力感である。
多くの場合、答えは、出ない。
僕ができることは、話に耳を傾け、共感することだけだ。
問いを突きつけられて、答えあぐねて、かろうじて出てきたのが、「何だろうね」。
あの女優の言葉は、臨床現場で感じる僕の思いそのもののようにも思える。