院長ブログ

調和

2018.8.13

「たとえば温清飲(うんせいいん)という漢方薬は、シャクヤク、トウキ、オウゴン、オウバク、オウレン、サンザシ、センキュウを混ぜて作る。
温清飲の配合にさらに、カンゾウ、サイコ、キキョウ、ケイガイをプラスしたのが、荊芥連翹湯(けいがいれんぎょうとう)。
つまり、荊芥連翹湯のほうがたくさん生薬が入っているわけだけど、その分、効能も強いかっていうと、別にそういうことはない。
効く効かないは、患者の証次第であって、生薬の種類の多さで決まるんじゃない。
こういうのを、僕ら漢方医は、切れ味、と表現する。
少数精鋭の生薬はナイフのような鋭さがあるが、一方、多種類の生薬は鈍器のようにじんわりと効く。
西洋薬は前者の方法論を極限まで高めたものだという見方もできる。
たとえば柳の樹皮に解熱鎮痛作用があることは古代ギリシャの時代から知られていたが、19世紀になってそこからアセチルサリチル酸が合成され、アスピリンができた。
さらに、化学的な組成を把握することで、実際に柳から抽出する必要さえなくなった。
こうしてアスピリンは、薬と言えば生薬やハーブが当たり前だった時代に、世界で初めて人工的に合成された最初の薬になった。
痛みを手っ取り早くなくしたいときには、アスピリンが重宝するだろうが、認識しておくべきは、その副作用だ。
人間の体は陰と陽、気・血・水、五臓六腑の絶妙な調和のもとに成り立っている。そこに、あまりにも切れ味の鋭い薬を入れると、バランスが崩れてしまう。
なるほど、痛みに関しては緩和されるかもしれないが、その他の面で何らかの悪影響が出ることは覚悟しておかないといけない。
かといって、生薬の種類が多ければ多いほどいいのか、というとそんな単純な話じゃない。
たくさんの食材を使った料理が必ずしもおいしいとは限らないのと同じことだ。
必要にして十分な生薬を使った漢方薬を選択する。それが僕ら漢方医の腕の見せ所だよ」

この話を聞いたときに、何か示唆的なものを感じた。
たとえば飲み会のとき、明るい人をたくさん呼んだらそれだけ楽しくなるかというと、意外に大して盛り上がらなかったりする。
気心知れた二人、三人ぐらいで深い話をするほうが余程楽しいということは多々あることだ。
楽しさを高めるためには、ここでもやはり、調和が大事ということだろう。

ダウンタウンの松本人志がある番組で語っていたエピソード。
小学生の頃、ボケの松本、ツッコミの伊藤、いじられ役の森岡、の三人でトリオ漫才をやっていた。漫才をやるたびに、クラスの皆を大爆笑させていた。
特に松本と伊藤の笑いのセンスはずば抜けていた。「俺ら二人だけのほうがよくない?森岡、全然おもろいこと言わへんしいじられてるだけやから、いらんやろ」
そこで、トリオではなく、松本と伊藤のコンビで漫才をした。
ところが、意外や意外、全くウケない。
ここに至って、二人はようやく気付いた。一見何もしてないかのように見える森岡だったが、松本と伊藤を生かす絶妙の仕事をしていたのだ。
おもしろい奴だけが集まっても、笑いは生まれない。笑いは、調和のもとに成り立っているということを、この経験を通じて松本は学んだという。

患者の治療に際して、漢方=東洋医学、手術=西洋医学、という公式にとらわれる必要はまったくない。
漢方医院の先生が、「これはうちには手が負えない。外科の仕事だ」と外科に紹介することは当然あるだろうし、逆に、外科の先生が漢方処方を使うことも全然あっていいと思う。
ある外科の先生、手術後にしつこいしゃっくりに悩む患者がいることに気付いた。
おそらくは開腹によって横隔膜に分布する迷走神経に何らかの影響があって、そのせいでしゃっくりが出ているのだろうが、こうしたしゃっくりの訴えに対して、西洋医学はなす術がない。
そこで先生、東洋医学的なアプローチを試みた。半夏厚朴湯、芍薬甘草湯など、いろいろ試したが、最も効いたのが柿蒂湯(していとう)だった。(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjphcs2001/27/1/27_1_29/_article/-char/ja)
柿の蒂(へた)、生姜、クローブの入った漢方だが、自分で柿のへたを集めてそれをお茶のように煮出しても、十分効果が出る。
外科手術という外からの強い侵襲の後遺症に対しては、切れ味の良い単剤の生薬で対応する、というのが、うまいバランスのとり方ということかもしれない。

調和の必要性というのは、僕らが気付いているいないにかかわらず、生活のあちこちで現れているのだと思う。
うまい調和は互いを高め合うだろうが、不調和は互いを相殺してしまうかもしれない。
一般に、調和の高め方には公式はなくて、自分なりに試行錯誤していくしかないと思う。
しかし、こと漢方薬に関しては、調和を高める先人の知恵が凝縮されている。
どの患者にどの漢方薬を適応するか、という判断は医療者にゆだねられているが、そこの判断が見事にはまれば、患者は大きな利益を得るはずだ。