「水戸黄門の話ね、あれ、わかるよ。お約束の様式美、といったものだね。
人生の一時期、暴れん坊将軍を毎日2話ずつ見てた頃があるんだけど(←なんで笑)、この経験を通じて、様式美の何たるかを知ったと思う。
毎回見てると、話の流れのパターンが数種類しかないことに気付く。
で、今日の脚本家は誰々だな、みたいなことまで察しがつく。
パターンが読めるからつまらない、ではなく、パターンが読めるからこそ、何とも言えない愛着がわくんだ。
古くはドリフ、今なら吉本新喜劇もそうだろう。
志村の後ろに人が通っても気付かないのがおもしろいし、ここでタライが降ってくるって知っててもおもしろい。「志村、うしろー」ってね、今や伝説の定番フレーズだ。
新喜劇で、辻本がしげぞう役で出てたら、「許してやったらどうや」っていうギャグが出るだろう、そのギャグが出てくるとしたら、話の流れはこのパターンだろう、みたいなね。
俳句は、五七五というたった17文字のなかに、季語や切れを入れる制約まであるのに、表現形式としてほとんど無限の可能性を秘めている。同じように、劇の進行パターンが決まっているからといって、同じ劇は一つとしてない。むしろ、いつも同じ大枠のなかで、その回特有の違いを楽しむという、通な楽しみ方をする人もいるだろう」
友人からのフィードバック。
「新喜劇=時代劇」説とは、なかなか新鮮だ。
新喜劇の話を聞いて、ふと、小藪のことを思い出した。いつもは人を笑わせる話をする彼が、笑いと真逆の話をするものだから、印象に残った。
「僕のオカンは決して弱音を吐かない、さっぱりした人なんだけど、あるとき僕に電話があった。『一応言うとくけど、私入院することになった』と。僕はこのとき、『あ、これ、危ないな』と思った。一人で勝手に病院行って、さっさと治してしまうのがいつものオカンだ。僕にわざわざ電話をよこすなんて、おかしい。そこで僕は父に電話した。『オカン、死ぬんちゃう?』と聞いたら、オヤジ、『うん、死ぬで。悪性リンパ腫や』
それから闘病生活が一年ほど続いた。最後の頃には痛みがひどくて、モルヒネで何とか平穏を保っているような有様だった。
あるとき、意識朦朧としたオカンが何か言う。
「え、なんて?」
また何か言う。でもうまく聞き取れない。何度も聞き直して、ようやく、「ヘリコプター」と言っているらしいことがわかった。
その瞬間、僕はハッとした。子供の頃の記憶がよみがえった。
僕が小学生の頃、ある催し物で、「大阪上空を一周 ヘリコプター搭乗体験」というのをやっていた。乗ってみたいなと思ったけど、僕におもちゃとかクリスマスプレゼントとか買ってくれないオカンだったし、確か搭乗料が五千円とか、けっこう高かったから、僕のほうからは「乗りたい」なんてねだったりしなかったんだけど、「あんた、乗り」って、オカンのほうから勧めてくれた。僕は大はしゃぎで、空からの眺めを楽しんだ。「みんなが買ってもらって持ってるようなおもちゃはいらんねん。ヘリコプターなんか、普通に生きてても一生乗る機会ないで。あんたには、誰もが経験してないようなことを経験してほしい。」オカンは僕をそういうふうに育ててくれた。
生と死の境界線上にいるオカンの口から出た言葉が、「ヘリコプター」だった。
子供の僕にとってヘリコプターに乗れたことは、ワクワクする経験だったことは間違いないけど、同時に、オカンにとっても、我が子にそういう経験をさせることは、自分の誇りだったのだ。死の間際になって、自分が母から深い愛情を注がれていたことに、僕はようやく気付いた。
ふと、もうすぐ死にそうなオカンが「プリン食べたい」とつぶやいた。最後の親孝行の機会だ。僕はすぐ病院を飛び出して、バイクに乗って、百貨店に向かった。もう閉店の時間だったけど、サングラスとマスクを外せば、大阪だからみんな僕を知っているから、何とかお願いして、かろうじてプリンを買うことができた。病院へバイクを走らせながら、何とか生きていてくれ、と祈った。病室に着くと、生きていたが、プリンをスプーンですくって口元に運んでも、もう食べる元気もなく、そのまま息を引き取った。
オカンが好きだったモロゾフのプリン。好きだったことは知っていたが、僕が自分から買っていったことは一度もなかった。最後に買って行ったときには、食べてもらえなかった。だから僕は、後輩とかに言うんです。親孝行は親が生きてるうちにしとかなあかんぞ、と」
こういう話を聞いても、リンパ腫というところに引っかかるのが医者の悲しい悪癖で笑、お母さん、生活習慣に偏りはなかったかな、とか考える。
電磁波がリンパ腫の原因であることはマウスを使った実験(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/8697452)や疫学的にも明らかで、たとえば高圧送電線の近くに住むことは健康へのリスクだよ。
外国だと人の立ち入りが禁止されるようなレベルの電磁波が検出される地域にも、普通に住宅街があるのがこの国土の狭い日本だからね。家賃が妙に安いアパート物件とか見付けても、飛びついて契約せずに、周囲に高圧送電線とかがないか確認しよう。安い家賃のために健康を失っては割に合わないよ。
プリンについては、僕はそんなに共感しないな。
僕の母は、もともとは甘いものはむしろ苦手なほうだったのに、 癌の転移に全身をむしばまれてからは、別人のように甘いお菓子をむさぼっていた。癌細胞は成長に糖質を要求する。母はその「体の声」に答えて、糖質をガンガン供給し、癌を肥え太らせていたわけだ。
「助けてあげたい。でもそのためには、この甘いもののドカ食いをやめさせないといけない」と思う一方で、「もう母は助からないだろう。最後くらいは好きなものを好きなだけ食べさせるのも、子としての情か」との思いもあって揺れたが、結局は現状維持が勝を占めた。僕はあえて甘いものをやめさせることをしなかった。
小藪の話には続きがある。
「モロゾフのプリンって、安物のプラスチックじゃなくて、ちょっとオシャレなガラス瓶に入ってるから、食べ終わった後も、洗って、めんつゆ入れる瓶として使ったりする。オカンがモロゾフ買ってくるたびに、捨てられないで、どんどんたまっていく。子供ながらに貧乏くさいなと思ってた。死後に残った大量のモロゾフの空き容器が、オカンの忘れ形見のようだった。」
僕の母の死後に残ったのは、大量のお菓子のストックだった。
今にして思うのは、当時僕がすべきことは、糖質摂取を放任することではなくて、ビタミンCの大量投与だった。
グルコースの分子式と、ビタミンCの分子式を見比べてみるといい。よく似ている。
似てはいるが、がん細胞に対するその作用は正反対で、糖質が癌細胞の増殖を促す一方、ビタミンCは癌細胞を破壊する。
死んだ人に、「こうしてあげるべきだった」の思いは、もはやどこにも行き場がない。同じ悲劇を繰り返さないよう、今日も僕は、患者にビタミンCをオススメしている。