院長ブログ

老い

2018.8.8

『ヘビメタのフェスに行きたい、と老人ホームを抜け出した2人を保護』(http://news.livedoor.com/article/detail/15124653/)
特に何ということのない短いニュースだけど、いい話だ、と思った。
高齢者のリハビリ施設なんかに行くと、古い歌謡曲とか演歌をBGMに流していたりするんだけど、僕はこれに違和感があった。
じいちゃんばあちゃんのみんながこんな曲を好きなわけじゃないだろうに、と。
だいたい、クイーンのフレディー・マーキュリーが仮に生きていれば、今年で72歳。世界的なロックスターも、今や老人ホームにいてもおかしくない年齢なんだ。
若い頃にロックが好きだった年寄もいるはずなのに、『ご老人はこんな曲が好きでしょ』と昭和歌謡を流してる。これは若い人の偏見だと思うんだけど、先生、どう思いますか。

「まぁ君の言っていることはわかるんだけど、意外にそうでもないんだよ。
人間は年を取るにつれ、『古きよきもの』に何とも言えない安心感や親しみを感じるという傾向があるのも、また事実なんだ。
昼から夕方にかけての時間帯に、『水戸黄門』や『遠山の金さん』のような時代劇をテレビでやっているだろう。
若い人には、あの手の番組の魅力は理解できない。『毎回同じような話じゃないか』って思うんだ。
トラブルがあって、そこに黄門様が出てきて、印籠を見せる。悪者がハハァ、と平伏する。これにて万事、一件落着。
どの話も細部は異なるが、話の大筋は似通っている。こんなの見て何が楽しんだ、と、若い人は思う。
でも、年を取ればこういう番組の良さがわかってくる。
もうね、変化球はいらないんだよ。どんでん返しとか、裏の裏を読み合うとか、そういう予想外の展開はいらない。
起承転結。序破急。バカでもわかるようなストーリー展開で、十分楽しいんだ。
若い頃にロックを聞いて育った世代も、今やおじいちゃんになってるというのは確かにその通りなんだけど、ロックっていうのはそもそも、自分の満たされない不満や愛を激しいビートに乗せて叫ぶ、という音楽だろう。
70代80代にもなれば、『そういうのは要らない。もっと丸い、静かな曲がいい』という人たちが必ず出てくる。好みの音楽というのも、変わってくるものなんだ」

なるほど、そういうものか。
だとすると、僕もいつか、そういうふうになるのかな。
『水戸黄門』の安直なストーリー展開に安堵を感じ、舟木一夫の『高校三年生』を聞いて楽しくなる、という。
そういう自分はちょっと想像つかないんだけど笑
ポーリングやホッファーなど、栄養療法を確立してきた偉大な先人たちがどのような晩年を迎えたのかを見てみると、彼ら、全然老け込んでない。
90歳を超えてなお、仕事をこなし、最新論文に目を通し、知識の研鑚に余念がなかった。死ぬ直前までそういう具合だった。
彼らの栄養療法を攻撃した医師たちは皆、早死にしていったが、栄養療法を提唱した医師たちは、自らの説の正しさを実証するように、健康的で生産的な晩年を迎えた。
隠居して、番茶飲みながら『水戸黄門』の再放送を見るホッファーの姿は想像できない。文化が違うせいもあるけど笑
国語の授業で習ったサミュエル・ウルマンの詩は、やっぱり深いことを言っていると思う。

「人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。
希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。」

栄養療法は、肉体的な若さはもちろん、心の若さを保つのにも有効だ。
僕も、ヘビメタのフェス見たさに施設を抜け出す、それぐらいの気力のある老人でありたいなぁ。