院長ブログ

点滴療法研究会

2018.6.17

今日は点滴療法研究会に参加するため、東京に行った。
こういう勉強会のために東京に行くことはしょっちゅうで、昔東京に来て感じていたようなワクワク感はもはやない。
今日も日帰りで、勉強会が終われば別段どこに寄り道するでもなく、すぐに帰りの新幹線に乗るだろう。

東京で生まれ育った人でいいなと思うのは、都会への妙な憧れがないところだ。
いい意味で枯れたようなところがあって、話していて、ずいぶん老成してるなぁという印象を受ける。
都市生活のいいところも悪いところも皆肌で知っていて、彼ら、都会に過剰に期待することがないんだな。
地方で生まれ育つとこういう恬淡とした境地にはなかなかなれなくて、「自分の不遇はこんな田舎に閉じ込められているせいだ」とか「都会でこそ自分の才能は花開くに違いない」とか、妄想に近いような憧れを東京に持ったりする。

全然そんなことないんだよね。
都会にそれなりのよさがあるように、地方にもそれなりのよさがある。
憧れの東京に来て、挫折なり失敗なりして、人生の苦味を感じてから、ようやくそういうことに気付くんだな。
「土地じゃない。人間なんだ」
そう気付いて、さて、どうするかは、人それぞれで、それでも都会にこだわる人もいれば、地元に帰る人もいる。

大学の同級生に東京出身の人がいた。
地下鉄サリン事件があったときは中学生で、地下鉄構内がパニック状態になっているのを目の当たりにしたという。
中学生の僕がテレビの向こうの他人事として見ていた事件を、自分の体験として語れる人がすぐそばにいるということに、何だか意外な感じがした。
彼、東京に戻ることなく、とある地方の病院で働いている。
彼いわく、「どこで働くか、よりは、そこで必要とされるかどうか、なんだよね」
本当にその通りやんね。

点滴療法研究会、という名前から想像されるように、当然点滴についての勉強会なわけだけど、単なる輸液の基礎知識、みたいな話ではなく、栄養療法に関連した意味での点滴だ。
具体的にいうと、たとえば今日のテーマは、高濃度ビタミンC点滴、マイヤーズカクテル、グルタチオン点滴だった。
すでに僕のクリニックでも実践している点滴だから、正直、今日の講演から新たに学んだ知識はそれほど多くはなかった。
たとえば今日配布された資料に、アメリカのリオルダンクリニックで行われている高濃度ビタミンC点滴の実施プロトコルの日本語訳があったけど、こういうのはクリニックの開業前に、英語文献で自分で読んでいた。
栄養療法についての本も翻訳しているぐらいだし、他にも関連文献や書籍を原著で読んでるわけだから、未知の知識が少なくなってきて当然だろう。それだけの勉強はしていると自負している。
この勉強会は、英語が読める人には自分で海外サイトで仕入れられるような知識を、英語のできない人のために紹介する場、という側面もあるから、そういう意味では僕にとって新味はなかった。
そのことは、実は、参加する前から大体予想がついていた。
でも、僕はあえて参加した。
本当はこの日、別に仕事があったんだけど、その見込み収入犠牲にしてまで、それどころか、けっこう高額な参加費払ってまで、参加した。
(参加費、いくらしたと思います?5万円です。゚(゚´Д`゚)゚
なぜそこまでして参加するのか。
講演で10の知識が提示されたとすると、8はとっくに知っている知識なんだけど、でも残り2は、独学ではどうやっても身に付かない知識だったりするんだな。
それはちょっとした技術的な話だったり、先生の個人的な感想だったりするんだけど、その2は、ネットのどこにも落ちてない情報だ。
その2のために、5万円払ったんです。
そして、今日の勉強会にも、それだけの価値があったと思う。

そしてもうひとつ。
あの勉強会には、志を同じくする仲間がいることだ。
仲間っていったって、別に親しくしゃべるわけじゃないけど、僕と同じように、現代医学に行き詰まりを感じて、これでは患者は救えない、と感じた人が、そこに集まっているわけ。
そういう仲間の存在を感じることは、僕にはとても大きいことだ。
何だか救いのようにさえ感じられるぐらいなんだ。

たとえば数日前、こんな診療情報提供書を受け取った。
「当院の患者が、貴院で、スタチンの処方を中止してもらうよう言われた、と言っています。スタチンが記憶障害の原因だということですが、私が調べた限り、そのような事実はありません。一体どのような根拠で言われたのか、ご教示願いたいものです」

言葉は丁寧だけど、意訳も交えて要約すると、
「デタラメ言うなよ。不必要に患者を不安がらせて、こっちの商売の邪魔するのやめてくれ」
といったところだろう。

こういうとき、僕は、何となく泣きたいような気分になる。
もちろん実際に泣かないんだけど、それは僕が大人で、一応社会的マナーなるものを身につけたからであって、純粋無垢な子供だったら泣いてるんじゃないかな。
自分の道は間違ってるんじゃないか、という不安。
自分一人が異端者で、孤軍奮闘してるような徒労感。
ため息ついて、しばらく動けなくなる。
でも、こんなことでへこんでいるわけにはいかない。
患者を本当に思う道を進もうとすると、摩擦は避けられないものだ、よし、と心強く持って、返書をしたためる。

「貴院にてこの患者にスタチンを投与されたことは、コレステロールを下げ、動脈硬化の進行を遅らせようとの意図だと推察します。これは貴科的に極めて適切な処置だと考えます。ただ、当院での主訴が認知症であったため、まずは薬剤性を疑い、主治医にスタチンを中止してもらうよう指示しました。その根拠としては、以下のような論文があります。URLを検索されるか、あるいは、google scholarで「statin adverse effect」などで検索されると、複数の学術論文がヒットしますので、ご確認ください。もしスタチンが原因薬剤だとすれば、数週間で記憶障害の改善が見られる(中央値は2.5週)可能性がありますので、せめてその間だけ投薬を中止して頂きたく存じます。数週経って全く改善の兆しがないようであれば、貴科的な方針のもと、スタチンを再開して頂ければ、と思います。本来このような話は私の方からお手紙を差し上げ、中止をお願いするのが本筋のところ、事後的にこのような釈明の形のお手紙となってしまい、大変申し訳ございません」

スタチンの添付文書見たら、副作用の欄に「健忘症」ってあるでしょ、一過性全般性健忘はFDAも公式に認めてますよ、なんて言うと角が立つので、そういう点はあえて触れない。
添付したURLは全部英語文献だけど、英語のできる人だろうか、という懸念もあるが、仮に英語ができる人だとしても、まともに読んでくれるかどうか。

平身低頭。
ただ低く頭を垂れて、嵐の過ぎるのを祈るような思いで待つ。
患者を守るために自分が壁になっているような気持ちになって、やはり思うのは自分の孤独さ。
そういう孤独の身には、同じ志を持った人たちが一堂に会する勉強会の場は、言葉にできないような励ましを与えてくれて、こういう場は、今の自分にはここしかないのです。